第二部門/多年にわたる功労
江村 利雄
昭和59年、氏は京都・大阪間の拠点都市である高槻市の市長になった。約7年前、妻が骨粗鬆症を患い歩行が困難になった。長男一家が同居、自宅も介護しやすいように改造して長男の妻やヘルパーが妻の面倒を見た。
しかしその後、筋肉がこわばるパーキンソン病を併発、病院生活が長引くうちに痴呆が進んだ。食事も氏からしか受け付けなくなった。
昨年夏、「江村」の文字を忘れている妻の様子に気付いた。病状が思わしくなく入院した際には、公務の途中に公用車で病院に見舞った。公私混同との批判が市民からも起き、公務と介護の両立に限界を感じて平成11年4月末、任期を1年残して市長を辞職した。
市長時代は妻に朝食を食べさせてから出勤、昼食時には市役所から約500m離れた自宅に自転車で戻り、昼食を共にした。夜間は寝返りを打たせたりおむつの取り替えも行った。
退職後は、妻の自立を促す介護を試行する毎日だ。
結婚して50年以上、妻の胸中に夫を送り出す感覚が染み込んでいると気付いた氏は、以前の生活パターンを尊重してやればと、外へ出かけて時間をつぶすこともある。食事も自分で食べたいと思わせることが大事ともいう。
生きる手助けだけでなく、自立を信じることも介護だと信じている。
氏は『被介護者との信頼関係が生み出す“心の介護”がどこまで出来るのか、私たち夫婦が実験台となって次世代の制度のヒントを紡ぎたい』と語る。
介護問題は要介護の両親や祖父母を持った中高年層だけのテーマと考えられがちだが、20年後には日本の全人口の1/4が65歳以上になると予測されており、社会全体が真剣に取り組むべき課題である。
市長という公職を捨ててまで妻の介護を選んだ氏の行動は、市民たちが介護をより身近な問題としてとらえるきっかけとなり、高齢者社会に大きな一石を投じたものといえる。