NPO法人 スペース海
不登校や障がいのある子どもの居場所、学びの場を運営している。予備校の講師をしていた新田恒夫さんが、当時から不登校の子どもや親の会とも関わるうちに、学校でも家でもない、子どもたちの居場所づくりを始めることにした。1991年3月にフリースペース海を開始。3年後現在の名称に変更後、2001年にNPO法人に認証された。「蘇我教室」と「西千葉教室」の2教室に約70人の子どもたちが在籍している。教室は完全個別化され、マンツーマンで子どもに丁寧に対応する。子どもたちは週1回、事前に時間を決めて教室に訪れ、本人の希望することを新田さんと一緒に行う。不登校の子は自信を失くし、空っぽの状態。学校へ行っているかいないか、ということが重要なのではなく、子どもが元気でいるかどうかが大切で「スペース海」は子どもたちが自ら動き始めるエネルギーを蓄える場所であり、伴走し、ゆっくり見守る場所。活動を始めて30年を迎え、関わってきた子どもたちや親たちから学んだことを今不登校で悩む人たちに伝えたいとYouTubeに「不登校チャンネル スペース海」を開設した。
平成3年から不登校支援をスタートして、30年が過ぎました。その間、不登校の子どもを取り巻く状況には大きな変化がありました。私が活動をスタートした年には、風の子学園事件がありました。また、それ以前に戸塚ヨットスクール事件もありました。不登校の子どもたちが訓練と称して、体罰を受け、命を奪われた事件でした。それらの事件の背景を考えたとき、問題はそれぞれの施設責任者の個人的な資質だけにあるのではないように思いました。
活動を開始した当時、学校に行かない、行けない状態は登校拒否と呼ばれていました。登校拒否という言葉の成り立ちの詳細は分かりません。けれども、学校に行かない、行けない状態を子どもが「登校」を「拒否」している状態と受け止めていたのだと思います。問題なのは子どもで、学校に行けるようにしなければならないと考えられていました。実際に教育センター等の相談機関では「学校に戻す」ことを強く意識する指導が行われていました。そんな時代に不登校支援をスタートした私は、学校に行かない、行けない子どもはダメな子どもでも、悪い子どもでもない、ただ、消耗してエネルギーをなくしているだけという立場を取り、子どもと親に寄り添う支援を心がけました。
活動理念に大きく影響を与えたのは長女の子育てでした。長女は今年、38歳。重度の知的障害があり、言葉はありません。幼いころは睡眠障害もあったので、子育てには非常に苦労しました。けれども一方で、娘の子育てにはたくさんの学びもありました。娘は障がいがあるだけでなく、中学3年の時に心臓病になりました。そのとき、私の恩師は「娘さんには親孝行させなければいけないよ」と教えてくれました。私はその言葉の意味がすぐには理解できませんでした。「この子に親孝行させるにはどうしたらいいですか」と尋ねました。「親孝行とは子どもが親を喜ばせること。親の方に目を向けると、子どものしたことを喜ぶことが親孝行。親が子どものことを喜んであげることが大切なんだ」と教えてくれました。
子どもがつまずいても、子どものいまがどのような状態でも、子どもの中にプラスを探し続けることが子どもの可能性を拓くのだと教えられました。今回、社会貢献者表彰を受け、喜びと共に責任も感じています。今後もいままでの経験をもとに、子どもの中に喜びを見つける子育て、喜び探しの子育てを発信していきたいと思っています。
代表 新田 恒夫