社会貢献の功績
NPO法人 沖縄県自立生活センター・イルカ
日本国内に130カ所あり、障がい者が自ら運営し、障がい者に介助者サービスを提供する自立生活センターは、1972年にアメリカカリフォルニア州で設立された団体。沖縄県内にも4団体あり、その中心的役割を担っているのが、1999年に設立されたNPO法人沖縄県自立生活センター・イルカ。
代表の長位さんも、事務局長の宮城さんも障がい者で車いすでの生活をしているが、実際の障がい者でないと、障がい者本人からの相談や、的確なアドバイスなどはできないため、団体の意思決定機関の責任者は障がい者で、構成員も半分以上は障がい者と定義されている。インクルーシブ社会実現に向けた事業の内容は①自立生活プログラム事業:自立生活を望む重度障がい者に対し、地域での一人暮らし生活を実現させるため様々な体験を行っている。②ピア・カウンセリング:悩みやトラウマを抱えている自立生活の実践者と話し合い、励ましながら力強い決定と理性的な選択ができる事を目指す。③相談支援事業:障がい児が地域生活を実現するために必要な情報提供や相談を行っている。④成年後見法人後見事業:知的・精神障害などにより、判断能力が十分でない利用者に代わって、法人後見人となり、財産の管理や福祉サービス等の契約、協議等を行う。⑤インクルーシブ教育推進事業:障がいの有無に関わらず,共に学びあうための教育が実現するような活動をしています。以上の事業を柱に、自立生活に関心がある10.20代の重度障がい者に向けて、「イルカの自立生活塾」と題した宿泊を伴う研修を実施したり、健常者・障がい者を交えた運動会を県内の自立生活センターと共同開催するなど、活発な活動を行っている。
「重度障害者の地域生活から見えてきたもの」
沖縄県自立生活センターとして1995年に新門登氏を代表として任意団体を立ち上げ、1999年に彼のサポート体制を確立するためにNPO法人を取得し、現在に至ります。
前代表の新門氏が生前言葉にしていたことは、「どんなに重度の障害者でも地域生活を可能にするよう、行政に働きかけていこう。自分たちはまだ言葉が言える障害者だが、今後は重複障害をもつ人でも、医療ケアを必要とする人たちでも、地域生活ができるようにみんなで力を合わせて頑張ろう」でした。
私は、彼の生き様及び関係づくり、行政機関への働きかけ方の感銘を受け、一緒に沖縄を変えていきたいと心底思いました。それと同時に、当時はまだまだ障害者施策に不備の多いままで、介助が必要な障害者にとっては無償ボランティアに頼らざるを得ないため、ボランティアが来ない日も多く生活がままならないだけでなく、生死に関わることも多くありました。
2003年から福祉施策が大幅に見直され、その後NPO法人でもヘルパー事業を設置することが可能となりました。その追い風に乗って、自立生活センターを基盤に沖縄で障害者運動・地域生活事業(ヘルパー事業)を展開し、多くの障害者が施設・病院や親元から自立(単身生活)をすることができました。
2006年に「障害者権利条約」が国連で採択され、日本国内の各障害者福祉制度が整備されはじめ、2014年に批准されました。“障害”のとらえ方も「医学的モデル(ADL)」から「社会的モデル(QOL)」にパラダイムシフト(考え方を変える)することが急務であるが、障害当事者や家族、福祉従事者、医療従事者を含む社会構造する全体の人たちの意識を変えることが必要であると思います。そのために今、自立生活センター協議会(JIL)に加盟し、全国各地の仲間たちとともに共有し社会全体へ様々な活動を続けています。
今、沖縄では重複障害者(身体・知的)の自立に向けて、取り組んでいるところです。重複障害者の自立生活については、日本の中でも情報や取り組みが少ないため、施設やグループホームありきの自立という偏りが見られます。親なき後も「その人らしい生活」というよりも、家族や支援者が安心したいがための将来設計になることが多く、それを私たちは問題視しています。
当事者が考える“障害”とは「社会の障壁」であり、障壁とは障害があるだけで情報不足・経験不足に陥ることをいい、そして大切な事は“自分の人生を生き抜く力”をつけていく事だと強く感じています。それには自ら社会に出ること、そして社会を信じ、地域の人たちと強い絆をつくることが求められています。
NPO法人沖縄県自立生活センター・イルカ
代表 長位 鈴子