社会貢献の功績
特定非営利活動法人 愛未来
佐賀県で、平成7年に農業研修で来ていたスリランカ青年の「故郷の貧しい子どもたちを何とかしたい。」という想いに共感した理事長の竹下敦子さんが現地を視察し、子どもたちのためには親の生活の安定が重要と考え、農村の暮らしを向上させる取り組みを始めた。農産物直売所の開設を支援するとともに、水牛の牛舎飼い施設や乳製品加工場を建設して、生産から加工、販売までの6次産業に取り組む「ミルクの里づくり」を支援するなど、自立に向けた取り組みを行っている。また、同14年からパラオとの交流が始まり、小さい島で資源の少ない観光立国であることから、現地の人々とのふれあいの場として生活文化体験村づくりを支援するとともに、食料の90%を輸入し、野菜を食べる習慣がないという生活を改め、持続可能な産業として農業を定着させる取り組みを始めている。団体として同9年から活動を始め、同20年に法人化し、現在の団体名で活動している。竹下さんはこの活動以前より、農業実習を中心とした人材育成活動を行っているOISKA(オイスカ)の活動に参加し、研修生の受け入れなどに協力していた。
私たちのささやかな活動に光をあてていただき、感謝申し上げます。長年、地道に活動を続けてきたことを評価してくださったことをうれしく思います。
特定非営利活動法人愛未来は、佐賀市に事務所を置き、スリランカとパラオとの友好交流や支援活動に取り組んでいる国際協力団体です。
愛未来がめざすのは、「心の交流」と「技術の支援」による「自立」です。子どもたちの心豊かな未来のために、特に母親の働く場づくりの支援に力を入れています。
私が国際協力活動に取り組むようになったのは、昭和45年、23歳の時、 天皇、皇后両陛下のご成婚を記念して始められた国の青年海外派遣事業でアジアを親善訪問した時、インドのあまりの貧しさに言葉を失うほどのショックを受けたからです。「私にできることは何だろう。」というその時の想いが活動の原点になっています。若い人たちに開発途上国の現場に出向き、その国の人々の暮らしに寄り添い、共に生きるということを体験してほしいと思います。
日本とスリランカの友情の絆として忘れてならないことは、サンフランシスコ講和会議において、のちの初代大統領ジャヤワルダナ氏が、日本がアメリカ、イギリス、ソ連、中国により4分割されるのを救ってくれたことです。当時の吉田首相は「我が国日本は、後世までこの大恩を忘れてはならない。」と言っておられます。
そんなスリランカから、平成7年、農業研修できていた青年の「故郷の貧しい子どもたちを何とかしたい。」という想いに共感し、子どもたちのためには親の生活の安定が重要と考え、農村の暮らしを向上させる取り組みを始めました。女性グループを作り、農産物直売所の活動を支援したり、水牛の生産から乳製品の加工、販売まで6次産業による「ミルクの里づくり」など、農業・農村の振興を支援しています。
また、親日的な国パラオでは、戦前31年間、日本の委任統治領だったこともあり、「ダイジョーブ」「トモダチ」「シューカン」など、日本語がパラオ語になった言葉が1,500語位あるといわれております。年配の方は、「日本は教育と殖産で生きる術を教えてくれた。」と流ちょうな日本語を話されます。トミー・レメンゲサウ大統領とは、30年来の友人で、平成14年からパラオとの交流を始めました。
小さい島で資源の少ない観光立国であることから、歴史や文化を知り現地の人々とのふれあいの場として、「生活文化体験村づくり」を支援するとともに、食料の90%を輸入し、野菜を食べる習慣がないという生活を改め、持続可能な産業として農業を定着させる取り組みを始めています。
愛未来は、草の根の活動を通して、これからもスリランカとパラオとの絆をますます深めていき、共に生きる心優しい社会づくりに貢献していきたいと思います。
理事長 竹下 敦子