東日本大震災における貢献者表彰
移送奉仕団体「移送さいわい」
福島県から川崎市に避難してきた者の生活環境の整備・支援物資の整理等のため、平成23年3月19日から日本所閉鎖日(平成23年7月31日)まで避難所へ多日数ボランティアで勤め避難者との接遇や支援物資の整理等を行い、100名を超える避難者の力になった。
車椅子利用者の車両移動の運転ボランティアを「移送さいわい」として12年、災害時における車椅子利用者への援助の必要を感じ、川崎市に所在する団体が参加している「川崎防災ボランティアネットワーク」(かわさき市民活動センター内)に参加して10年、そんな中、平成23年3月11日、東日本大震災が勃発、私も何かボランティアを行いたいが年齢からして現地での肉体労働は周りの足手まといになると思い、現地に行かないまでも何かないか思案に暮れていました。
そこへ原発の被害から川崎市に緊急避難してきた被災者受入の手伝いを川崎市社会福祉協議会から「川崎防災ボランティアネットワーク」に依頼され、我が「移送さいわい」としても3月19日から避難所が閉鎖された7月31日まで(20日間延べ35人)川崎市体育館が等々力アリーナで避難者との会話や避難生活場所の整頓、避難者に対する支援物資の整理等の協力をさせていただきました。
原発施設から近い住民の避難者が多く、中には原発関連事業に勤めていた人もいて、親・子・孫と三世代の家族もいました。
子どもの健康を考え、母子での避難者、川崎市在住の親族を頼ってきたが建物が狭く居住不可能で避難してきた家族等々最大100名を超える避難者が生活していました。
ボランティアの日数が重なるうち、避難者の方々も我々を受け入れてくださり会話も弾んだりしました。また、支援物資の整理では、特に女性物の区分けに苦労し、女性避難者の手を借りたこともありました。
避難所が閉鎖になる直前には別れを惜しんで避難者とボランティアとの昼食会が開かれ、楽しいひとときを過ごしました。またの再会を願いながら避難所は閉鎖されました。
福島に帰る人、神奈川県内の公営住宅に居住する人、避難所近辺の民間住宅に居住する人など様々でした。
その後、日常のボランティア活動を行っていたところ「川崎防災ボランティアネットワーク」から「公益財団法人社会貢献支援財団」がおこなう【東日本大震災に際し人命救助・救護・被災者支援活動に尽くされた方々の、推薦による表彰】に推薦するとの連絡を受け、10月初めに必要書類を作成し送付しました。
年が変わって3月3日同財団から表彰該当団体に選ばれたとの通知が届き驚きました。
表彰は5月1日帝国ホテル(千代田区内幸町)とのこと、当日は会長(梅澤弘)以下2名が表彰式に出席し、立派な表彰を受けた上、多大な副賞も戴いてきました。
これは、「できる人が・できる時に・負担とならない活動」を行ったことに対してなされたものと認識し、この表彰に大変感謝し、副賞は被災地見学ツアーの費用の一部に充てる等、当会の活動に有効に活用させていただきます。