東日本大震災における貢献者表彰
埼玉はすだ支援隊
蓮田市と白岡町の建設業者により大震災支援のために結成されたグループで、4月25日から11月29日まで延べ約40日にわたり埼玉から孤立して支援の届きにくかった南三陸町馬場中山地区へ、支援物資と砕石・建築資材を積み、クレーン車や、ダンプカー、ショベルカー、発電気、転圧機などの重機を持参し、建設業者ならではの新規避難所の建設、漁師番屋建設の建設、道路の修理、道路側溝の清掃や炊き出し、草刈など支援活動を行った。現在も活動を継続中。
会長 佐藤 正春
この度は、当団体に栄えある賞を頂き、身に余る光栄だと思っております。今回の賞は、埼玉はすだ支援隊のメンバーと、ご協力・応援してくださった全員で受賞したと思っております。
埼玉はすだ支援隊は、3.11に発生した東日本大震災の状況をテレビなどのメディアで、甚大な被害を知った数人が、私たち建設業者の技術や経験、機材などを使った支援が何かできないだろうか?と、建設組合や仕事仲間や友人に呼びかけたのが団体立ち上げのきっかけです。
メンバー構成は、埼玉県蓮田市と白岡町の建設業者が中心となっていますが、他の地域の方や建設業以外の職種の方もメンバーとなっています。
支援活動は、宮城県本吉郡南三陸町歌津馬場中山地区を中心に活動していますが、宮城県石巻市雄勝地区や新潟県小千谷市若栃地区に雪かきのボランティア活動など、小さな支援ながら活動をしてまいりました。
私達の活動は、主に建築関係になりますが、大きく分けて二つのチームに分かれて活動しています。建物の建設や補修する「大工チーム」と、瓦礫の撤去や道路の建設・補修、道路側溝の清掃、草刈り等の「土木チーム」に分かれて、メンバーの職種や技術を生かしたチームになってします。
南三陸町歌津馬場中山地区では、地域の方々と連絡を取り合いながら、状況に合った支援を心がけてきました。
最初の支援活動では、避難所である公民館が狭く、全員が寝むる事ができず車の中や倉庫などで寝ている状況でしたので、資材を他の支援団体さんに提供してもらい、避難所を私達の大工チームと地域の方にも手伝ってもらい建てる事になりました。
土木チームは、砕石と重機・特殊車両を現地に持ち込み、避難所までの仮設道路の建設や周辺道路の補修や、瓦礫の撤去作業などの活動をしました。
一回あたりの活動は、短期間での活動ですが定期的に活動していまして、港近くに漁師の休憩小屋の建設や、避難所などの防寒工事などの大工チームの活動と、周辺道路の補修や道路側溝の清掃などの土木チームの活動になっていますが、一番大きな活動になったのが、地域の方達から「未来道」と呼ばれている避難道の建設になります。
南三陸町歌津馬場中山地区では、震災時に海沿いの道が全て壊れて、それ以外の道はなく1週間の完全な孤立したそうです。そこで海沿いを通らなくても、内陸に行くことできる道を、山の中を切り開いて作る事になりました。全長は1.3㎞幅員6mの道路です。測量や山の木の伐採・造成などは、他の支援団体と連携しながらの活動となりましたが、仕上げの砕石舗装は、私達の活動となりました。砕石を地元宮城県の建材屋から150m3を購入して、運搬、敷き均し、転圧の道路工事です。ダンプ3台、重機2台を持ち込み、他にも現地の重機3台を使った大規模な活動となりました。
建築関係の活動以外にも、支援物資の運搬や配布、炊き出しなどの活動もしてきました。
現在までに十数回の支援活動や打ち合わせや現地調査や、地域のイベントなどの参加で、南三陸町歌津馬場中山地区に行っていますが、いつも私達の地元のお酒を持って行き、地域の方達とのいい交流となっていますが、最初は震災直後だった事もありますし、信頼関係も何もなく、お酒を出していいものなのかも分からずにいましたが、地域の方から誘っていただいたのが、印象的でした。
支援活動をして、お酒を飲んで交流してと回を重ねるごとに、お互いにうち解けて良い関係を築くことができていると感じています。
最近では、馬場中山地区には支援活動に行くというよりも、友人の家に手伝いに行く様な、田舎に帰る様な、とても不思議な感覚です。それは、馬場中山地区の方々の優しさや、温かさや、もてなしの心がそう思わせているのだと思います。
震災から1年以上が経ちますが、完全な復興まではまだ長い時間がかかると思います。私達、埼玉はすだ支援隊は、私達のできる事を、できる範囲で、微力ではありますが支援活動を続けていきたいと思っています。
今まで、埼玉はすだ支援隊にご協力・ご支援いただいた皆様、本当に有り難うございました。
これからも、皆様のご協力やご支援、よろしくお願いしたします。