受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

さとう ひろし

佐藤 宏

(38歳:宮城県登米市津山町)
えんどう かずひこ

遠藤 一彦

(43歳:宮城県本吉郡南三陸町)
佐藤 宏
佐藤 宏
遠藤 一彦
遠藤 一彦

自らも被災者であり、一般の会社員であった彼らは、大津波から避難してきた住民で混乱する南三陸町の指定避難所、ベイサイドアリーナで1,500人余りの避難住民のリーダーとして活動し、食事提供の計画や配給方法、避難住民同士のいざこざの仲裁など多方面で活躍した。避難所の施設では、電気設備の図面を調べ自家発電を利用し浄化槽の運転を可能にし、仮設トイレの汚水処理を可能にするなど、技術者としての知識とノウハウを駆使して快適な環境を提供した。当初数名だったスタッフも、彼らの懸命な行動に触発され40~50名までに膨らんだ。震災からひと月後、役場やボランティアセンターが機能し始めたのを機に業務を引き継いだ。

推薦者:山内 亜由美

佐藤 宏

私が、避難所の総括責任者として今回受賞できました事は、とても光栄ですし、「自分のやって来た事は間違っていなかったんだな」と感じています。

ただ、私がいただいて良いものかと大変恐縮しております。

町災害対策本部内部状況

 

大震災当日は、避難住民で混乱している中で、「どのように、避難住民の安全を確保するか?」また「どのように、水や食料を確保するか?」だけを考えていました。

周囲の方々にご協力を頂き、何とか水や食料を確保する事ができましたが、他の避難所にも送る事を考え、避難住民の方々に状況を理解していただいた上で、配給制限をし、乗り切る事ができました。

また、怪我人の応急処置、窓口運営、避難住民や施設の安全確保、食糧配給方法、関係各所との折衝など様々な対応に追われ、今思い出しても、初めの一週間は地獄の様な日々でした。

当時私は、環境水処理施設の運転維持管理をする会社に在籍していました。避難所であったベイサイドアリーナには、非常用自家発電装置があったので「発電装置を有効に使用する事は出来ないか?」と考え、配線の改造を行い照明や浄化槽を運転し、仮設トイレからの汚水を処理できる様にしました。その時は、職務上の経験が役立ちました。

町災害対策本部内部状況(左)町長

食事の配給時に、中高生が「自分達も何か手伝いたい1」と志願してきてくれた時は嬉しくもあり、頼もしく思えました。将来この経験を活かし率先して南三陸町を牽引して行く人になってくれるものと信じています。

震災から四日後に、自衛隊の方々が、災害救助で来てくれた時は、正直「助かった…」と感じました。

大震災から南三陸町は少しずつではありますが、確実に一歩一歩前へ進んでいます。それでも、復興への道のりはまだまだ長く険しいものです。私も微力ながら復興に向け協力していきたいと思います。

全国の皆様には、震災当初から心暖まるご支援をいただき大変感謝しております。南三陸町ならびに各被災地は、復興に向け頑張って行きますので、引き続き御支援いただきます様、よろしくお願い致します。

平成24年3月

遠藤 一彦

震災当日、家族の安否を確認した後、ベイサイドアリーナに向かいました。避難されていた人数は、わかりません。職員も少なく騒然としていました。

私は、他の避難所のことが知りたくて、中学校に向かいました。情報収集を済ませ、アリーナに戻ってきてからが大変だったのを思い出します。

ベイサイドアリーナ入口
遺体情報掲示状況

備蓄してあるものをどのように分けるか、明日からの食料をどうするか。本当に長く、不安な夜でした。

夜が明けてからは、いろいろと問題が山積します。トイレや電気の事など、話せばきりがありません。私は総務として、手伝わせていただきました。避難されていた方々からの苦情、相談、お願い、いろいろありました。亡くなられた方々の収容方法や安否確認など。

そんな中、私のような者の言うことに耳を傾け、(避難者のみなさんが)協力して下さったからこそ乗り越えられたと思います。

震災から一年が過ぎ、今は漁業復興のため漁師をしています。有志12人と生産組合を立ち上げ、これまでにない漁師のあり方を模索しています。

震災で全てを失いましたが、私達にはこれまで培われてきた技術があります。それを生かし、水産業の復興に繋げて行きたいと思っています。それが水産の町、南三陸町の復興につながると確信しています。

最後に、震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。

  • 震災写真等展示
  • 震災写真等展示
  • 南三陸町ベイサイドアリーナ