東日本大震災における貢献者表彰
駒場 恒雄
花巻市在住の社団法人日本筋ジストロフィー協会の会員で、震災後、電気が復旧したのち会員の安否確認を電話で行った他、ラジオやインターネットを通じて会員の消息や情報を流した。その後被災地で会員の患者を訪問し、呼吸器を使用している患者には停電時の対応や課題などを聞き取り調査し、ワークショップなどで、被災した難病患者の実態と課題を報告したり、要援助者の対策の必要性を新聞に投稿する等、障害者理解のために活動した。
この度は、このような賞を頂き、身に余る光栄だと思っております。誠にありがとうございます。
来るぞ、来るぞと言われ災害対策をしてきたところであった。自然の猛威を予測することは難しく、その対策をあざ笑うかのような未曽有の大災害だった。
津波から車いす障がい者の子を守ろうとした親子三人が被災、更に火災で全て焼き尽くされ、遺影にする写真も無いと戸惑う親族との出会い。自力で避難できない人たちへの支援のあり方について心配していたことが現実となった。
発災後、体が不自由で現地支援のボランティアもできず悶々としていました。在宅で孤立した同じ障がいを抱える仲間の安否確認を、ラジオ、インターネットなど駆使して現状の把握と、声掛けや相談に努めてきた。この災害の体験と教訓をまとめ、各種報告会場で課題や提言として報告。障がい者にもできる災害支援の活動としてきました。
30数年前に治療法の無い難病と宣告され、徐々に筋力が低下し、自力歩行も困難になり日常生活の全てを妻一人に委ねて暮らしている。不自由な体に偏見や役立たずと差別に苦しんでいた。わずか1センチの段差に躓き、狭い通路が車いすの通行を妨げる環境を「1センチの闘い」と題して新聞へ投稿した。その反響は大きく、バリアフリーの街づくりやスロープ設置など見直しに役立つことができた。
2005年アメリカでハリケーンによる被災で、避難困難な病人を安楽死させる事件報道にショックと恐怖を記憶している。2006年に国が災害弱者に対する災害時要援護者制度の指針がしたが遅々として進まなかった。避難所に一人で行くこともできない車いす障がい者として、生きることを諦めなければならない覚悟も必要と自分に言い聞かせ、新聞への投稿や各種会議で制度の必要性を訴え続けてきた。
「災害時要援護者支援制度」が作られたが、住民や当事者への周知徹底が至らないままに被災。この体験を風化させることの無いよう、当事者にも避難方法や用具の準備など自助努力も必要と、提言など障がい者福祉活動を続けている。
体が不自由になって以来、自分にできる役割を見つけ精一杯生きることに挑戦してきた。この姿が仲間の励みになると信じ、安心して共に暮らせるまちづくり、地域でともに生きていくことを支える活動を続けて参りたいと思います。