東日本大震災における貢献者表彰
木住野 耕一
震災発生直後より、院長を務める二本松市のクリニックが被災を受けながらも、双葉郡浪江町から着の身着のまま避難してきた大量の避難者を、病名や服用薬も判然としないなか、医薬品の欠乏、燃料不足等の困難に遭いながらも診察に当たった。現在も避難者の方々の診察に熱心にあたっている。
大震災後の医療活動について
はじめに、あの大震災から早1年が過ぎましたが、私が貴財団より表彰して頂けることになり厚く御礼申し上げます。大変光栄に思うと共に今後も尚一層の精進を積み重ね地域医療に貢献していく決意を新たにしているところです。この機会に震災に際し当院の行なった医療活動の概況を紹介させて頂きます。
平成23年3月11日午後2時46分三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が東日本を襲いました。午後の外来が始まって間もなくのことでしたが二本松市も最大震度6強の地震を含め今までに経験したことのない大きな揺れが数分ほど続きました。当院の被害は転落や転倒によって多くの備品や什器類が破損した以外には建物周辺の陥没と地割れに伴った雨樋や側溝の破断などが主なものであり、幸いにして建物本体に損害はありませんでした。また医療機器にも損傷はなく断水や停電も免れた為に震災後も診療を継続できる最低限の条件は保たれました。しかし震災直後より食料やガソリンなどの物流が途絶え避難所への退避を余儀なくされ出勤できなかったスタッフもいて、いつ休診に追い込まれるか分からない切迫した状況でした。
当院がその様な状況にあった3月15日、二本松市が浪江町民の緊急避難の受け入れを急遽決定しました。今から考えればそれも無理からぬことであったとは思いますが、市側からは避難者を受け入れに関しての事前連絡や震災後の当院の診療状況に関する問い合わせなどは一切なく、ある日突然目の前の体育館に数多くの避難者が来ていたといった状況でした。因みに当地区での避難者数は15日に東和第一体育館など5施設に1150人、翌16日には6施設で1245人、翌々日の17日には10施設で1260人に上りました。
3月16日の朝から避難された方々の来院が始まりましたが当初の3日間は浪江町の方々だけで日に50人から70人の受診者数に達しました。緊急避難であったために多くの方々は着の身着のままで移動していて、薬を持参して来なかった人や薬剤を持参しても数日分しかない人が大半でした。またお薬手帳のない方や病名も判然とせず飲んでいる薬の種類さえも把握していない方も数多くいました。また中には精神神経科に通院している患者さんもいて病状の悪化や悪性症候群の発症なども危惧されました。多くの来院者がこの様な状況であり、病歴聴取、検査や診断、更に処方に至る一連の診療には膨大な時間と労力を必要としました。それと同時に地元のかかり付けの患者さんも受診していたので院内は騒然とした雰囲気に包まれました。
この様に大変厳しい状況下で診療を続けていましたが、3月19日から道路を挟んだ向かい側の東和生きがいセンター内に臨時の津島国保診療所が開設され、所長である関根俊二先生が診療を始められるとの事前連絡があり当院にとっても大変有り難いお話でした。当地を選ばれた理由としては、当初二本松市の東和支所内に浪江町役場が臨時に移転して来たことや当該センターが東和第一体育館や文化センターと言った大きな避難所に隣接していたことが挙げられます。またこの臨時診療所では浪江町で開業されていた数名の先生方も診療に協力して下さいました。予定通り19日に臨時診療所が開設され診療が開始されたのを機に当院への避難者の方々の受診は徐々に減少し3月末には1日当たり15名ほどとなり一応の落ち着きを取り戻すことができました。
今回の緊急事態に際し道路を挟んで隣接する2つの医療機関が円滑な診療を行なう為に診療所長の関根先生をはじめとして地元の二本松市議や浪江町の保健師などの担当職員及び二本松市東和支所の避難所の担当者などを交えた協議の場を持つことになりました。協議は連日のように行われましたが、その中では両医療機関への患者さんの振り分けの方法や薬剤の処方日数に関しても協調していくことなどが話し合われました。
また診療以外でも協議を通じて食生活や住環境など厳しい避難所生活を考慮し、感染性胃腸炎やインフルエンザなどの発生防止に関して可能な限りの対策を講じました。その一環として、そのような感染症の患者さんの為の隔離場所も設置しました。更に震災に関連したPTSDやその後の避難生活によって生じた様々な障害に対処する為に、保健師さんに避難所を巡回してもらい精神的なケアの必要な方などの発見に努め必要に応じて早い段階からの専門医療機関への受診につなげました。
その他にも我々の医療活動と並行して、安達医師会をはじめとして地元の基幹病院などの医療機関に対して救急患者や入院患者の受け入れなどに関する協力の要請を行い総合的な医療環境の整備を図りました。各機関からは快諾が得られ、病院などへの患者さんの紹介や入院も円滑に運びました。安達医師会からは避難所を巡回する医師の派遣があり、また協力の申し出のあった日本赤十字社やNPO法人難民を救う会の方々には避難所での支援活動に参加して頂きました。
4月16日、浪江町民の方々の岳温泉等への再避難が完了したのを機に臨時診療所も岳温泉の宿泊施設内に移転しました。それによって震災直後から約1ヶ月間に亘り続けてきた緊急の診療体制にも区切りが付き当院は震災前の診療態勢に戻りました。しかし、その後も当地での避難生活を続けている多くの方々が受診されていて少しも癒えない震災の爪痕の深さを痛感する日々が今も続いています。
今回の大震災では地震だけではなく津波や原発事故で甚大な被害を被った地域や医療機関が数多くありました。また緊急避難を余儀なくされた浪江町の方々に直に接し、その苦難の大きさは計り知れないものであることを実感しました。それからすれば当院の置かれた状況はそれ程過酷なものであったとは言えません。しかし一月ほどの短期間でしたが、放射能問題に加え頻発する余震や物資の欠乏といった経験したことのない緊迫した状況下での診療には多くの困難が伴いまた忍耐を要しました。
おわりに、今回の大震災に際し当院のスタッフは献身的な働きを見せてくれました。しかしそれに加えて各方面、各位のご協力とご支援があってはじめてこの難局を乗り越えることが出来たことは言うまでもありません。この場を借りてご協力頂いた関係各位の皆様に深く御礼申し上げます。
東和クリニック院長 木住野 耕一