東日本大震災における貢献者表彰
一般社団法人 名取市医師会
3月11日大震災の当日より、名取市保健センター救護所、名取市休日夜間急患センターなどで会員が自発的に診療を継続した。13日からは宮城県立がんセンター、宮城社会保険病院と連携し、避難所の巡回を2つの病院のチームに依頼し、後に引き継いだ。また検死の要請にも会員が対応した。市中の病院が一般外来を閉鎖するなか、平時は土日祝日のみの休日夜間急患センターで平日の診察も行うなど、災害時の医療に貢献した。
電話、ファクス、メールが全く通じない状況で、名取市内の幾つかの診療所は自発的に診療を継続しました。大きな病院は外来を中止して救急のみに対応しているようなので、多くの患者さんの受け皿がないであろうと考えられました。普段は、土日曜と休日のみの名取市休日夜間急患センターを、平日も開いて診療することが大切と考えました。宮城県立がんセンターの医療チームの応援を頂き、震災翌日の12日から27日までの16日間で1058名の患者さんの診察を行ないました。同時に、市内で30か所以上あった避難所全てを、宮城県立がんセンターと宮城社会保険病院の医療チームに巡回診療していただきました。この間に、幾つかの診療所が再開の準備をし、短時間ですが診療にこぎつけた診療所もありました。12日からの一週間は、検案の依頼があり、毎日2−3名の会員が協力しました。3月27日からは、病院の先生方は平常業務に戻り、名取市医師会会員が避難所の巡回を担当し、避難所が最後の一つになった5月27日まで、ほぼ毎日巡回を継続しました。沿岸部の3人の診療所が全壊状態、1人の診療所が一部損壊で、1人の医師が亡くなりました。数個の診療所が損壊し、診療不能となりました。こういう状況でも、十数名の医師が避難所の巡回を続けました。避難所の市民からは、地元の顔を知っている先生が定期的に来てくれることで、安心感と信頼感があったとのうれしい評価を頂きました。そのせいか、3月11日から4月末までに、宮城県内の避難所から救急車で病院に搬送された人は2149名でしたが、名取市ではわずか47人で、他地域の6−16%にすぎませんでした。
現在、名取市の仮設住宅には、日本訪問看護振興財団の看護師の方達が入って、市民の血圧測定、相談等の健康管理を行なっています。血圧が上がってきたり、不眠を訴える方も増えています。宮城県立精神医療センターのチームが仮設住宅の市民の「こころのケア」を行なっています。医師会は、この2つのチームと連携して、高血圧、脳梗塞、感染症等の健康講話で協力し市民の健康維持に寄与しています。
病院の医療チーム、急患センターのスタッフ、避難所の応援の保健師さんやスタッフの方、養護教諭の先生方、市の保健センター等、多くの方々との協力、連携があってはじめて、震災時の医療が可能でした。多くの御支援を頂いた国民の方々に深謝致します。
(PS)
医師会の活動が記録に残る、表彰されるなどとは考えも及ばず、また記録する余裕さえもありませんでした。毎日の活動で精いっぱいでした。故に、写真は殆んどありません。御容赦下さい。