東日本大震災における貢献者表彰
社団法人 石巻市医師会
同会は地震発生後、直ちに無線網を活用し、石巻市災害対策本部と診療可能医療施設との連絡調整を図ると共に、医療救護班を編成し、二次被害の危険を顧みず避難所等を巡回する医療行為を行った。そして発災直後から5月初旬までの間、延べ435名の会員医師、看護師が家族に死傷者が出て、自宅も被災する中、昼夜を問わず医療活動に従事した。
この度、石巻市長・亀山紘様からの御推薦を頂き、公益財団法人社会貢献支援財団様の「東日本大震災における貢献者表彰」を石巻市医師会が受賞しましたことに対し、会を代表しまして御礼申し上げます。まず、簡単に、石巻市医師会が行なった医療救護活動についてご報告し、現在までのその他の活動についても言及させて頂きます。
昨年3月11日、大地震そして大津波が石巻市を襲いました。小生の医院も津波で床上浸水の被害を受けました。震災当日は、医師会館と簡易無線で連絡を取り、会館内の状況を聞き、人的被害は無いことを確かめました。翌日早朝、会館周囲が冠水した中(写真1)、何とか会館に入り、事務局長以下10名ほどの職員に迎えられました。彼らは、津波のため会館内に閉じ込められ、一夜を過ごさざるを得なかったと報告を受けました。館内への浸水こそありませんでしたが、電気、水道、ガス、電話などのライフラインは全く断絶した状況でした。早速、職員に手分けして会員の医療機関に赴いて、安否確認と今後の救護活動の依頼をするよう指示しました。道路は壊れた家、自動車、船舶などで遮断され、瓦礫が散乱しており、蓋の取れたマンホールも有り、非常に危険な状況の下、職員はよく働いてくれました。その時点では、職員の家族の安否や家の被害状況も不明でした。石巻市とは平成22年に、災害時医療協定を結んでおりましたので、市役所の水没状態の回復を待ち、3月13日に市役所へ行き、担当者と相談し、医薬品の調達や救護チームを派遣する避難所の相談をしました。翌14日から、医師会チームとしての救護活動を行ないましたが(写真2〜5)、それ以前から、独自の判断で、避難所での医療活動を行なっていた会員が少なからずおられました。電話が回復するまでの市役所や、職員、救護チームとの連絡には、医師会および会員が災害用に購入した簡易無線が大いに役立ちました(写真6)。しかし次第に、当地の災害拠点病院である石巻赤十字病院へ全国から派遣されたDMAT,JMATなどの救護チームと避難所でかち合うことが多くなったため、宮城県災害医療コーディネーターである石巻赤十字病院の石井先生と相談し、当会の救護活動は順次縮小し会員医療機関の早期再開を目指すことになりました。しかしその後も、当会副会長の4人の御兄弟をはじめとして、しばらくは、救護活動を続けられた会員もおられました。結局、5月初旬までの間、会員医師および看護師(当医師会付属の准看護学校や訪問看護ステーションなどの看護師を含む)延べ435名がこの活動に参加しました。避難されていた患者さん方は、はじめの頃に十分な医薬品が無くても、顔なじみの医師やかかりつけ医に軽い診察を受けただけで安堵し満足されたと聞いております。
その後、医師会としては、災害検視や災害弔慰金等支給審査委員会、被災して壊滅した石巻市立病院の再建などに協力している状況です。
今回の震災では、当会に所属する医療機関の実に8割以上が、全壊、半壊などの被害を受けました。会員も2名亡くなり、家族を失った職員も多くいます。そして、11の医療機関が閉院となりました。その様な状況の下で協力してくださった会員そして職員にとって、今回の受賞は、大いなる喜びと励みになるものであります。本当にありがとうございました。