社会貢献の功績
高見 国生
認知症の人とその家族に対する施策や制度のないなかで、 昭和55年に日本初の「認知症介護家族の自助集団の会」を京都市で発足させ、設立以来30年の長きにわたって家族を励まし、支援を続けられている。現在45都道府県の支部、会員は1万人にのぼる。
私と「家族の会」の記録
私を5歳から育ててくれた母(養母)に認知症の症状が現れたのは1973年ころでした。症状は次第に進行し、ついに失禁、なんでも食べる、私に向かって「どちらさん?」というまでに。
共働き、育児中の私は日々の介護で、もう限界と思い始めました。当時は、認知症への理解は少なく、医療にも福祉にも対応してもらえず、行政の対策も皆無でしたから、介護は家族だけの力でせざるを得ない状況でした。
そのような状況の中、家族を支援しようという医師やボランティアに巡り会い、京都の20家族ほどで家族の会を作ることになりました。1980年1月、京都で「呆け老人をかかえる家族の会」の結成総会を開いたのですが、そのことを小さな新聞記事で知った家族が東京から九州から90人も集まりました。京都だけの集まりのつもりであったのが、突然に全国の集まりになってしまったのです。
京都だけで行っていた家族のつどいは、こうして全国に広がり支部となり、現在では45都道府県に支部ができ、会員は1万人を超す組織となりました。
認知症の人の介護は、やってみなければ分からないと言いたいほど大変です。ですから、家族どうしの励ましあい助けあいを大切にしてきました。つらい介護でも仲間がいることによって勇気をわかせ頑張ることができるからです。それとともに、社会に理解してもらい行政の対策を進めてもらうことにも力を入れてきました。
これまで、厚生労働大臣に35回の要望や提言を行ってきました。また社会の人たちに認知症を理解してもらうために実情を訴え、講演会なども開催してきました。
2004年に開催した国際会議には世界66ヶ国から4,000名を超える参加者があり、認知症の本人が思いを語ったことにより、理解が飛躍的にすすみ、それまでの「痴呆」という言葉が「認知症」に替わりました。「家族の会」も「認知症の人と家族の会」に改称しました。
「家族の会」が長年訴えてきた介護の社会化は、2000年の介護保険制度の誕生によってその一歩を踏み出しました。「介護は家族の責任」という風潮が、「介護は社会で支えるべき」という認識に変わり始めました。認知症の人は何もできない何も分からない人ではないということが明らかになり、認知症は特殊なものでなく誰もがなりうる病気、という理解も進みました。この時代を私たちは「認知症新時代」と呼んでいます。
社会の高齢化に伴い、認知症の人はいっそう増えると予想されています。10年を経過した介護保険制度は来年に法改正が行なわれます。現在だけでなく将来の認知症の人と家族にとっても、役に立つ改正が行われるように働きかけています。私たちが願う「ぼけても安心して暮らせる社会」に近づけるために。