社会貢献の功績
鈴木 静穂
鈴木 幸枝
共に全盲女性で、鍼灸治療業の傍らボランティアで毎年視覚特別支援学校に寄せられる多くの点字本の校正を約50年間、2人合わせて1千冊以上も行なう活動を続けられている。
鈴木 静穂
「点字と私」
私は生まれながら視覚障害であった爲、10歳にして初めて静岡県立浜松盲学校へ入学いたしました。
点字とのつき合いは、それ以来ほぼ60年になります。そもそも点字とは、フランスのルイ・ブライユによって考案されたもので6つの点からなりたっており日本式50音の配列をお考え下さったのが石川倉次先生であります。点字は全く表音文字です。皆さんの「片仮名」や「平仮名」を読み書きするのと同じです。
普通の書物を点字に直す作業を「点訳」といいます。一点の違いによって意味が異なりますので点訳された本を直す作業が必要です。それを点字の「校正」といいます。例えば小説の主人公を「あがわさん」としましょう。それが「かがわさん」或いは「さがわさん」と書かれていれば点を消して「あがわさん」に直します。どんなにベテランの点訳者でも誤りがありますから点字の校正は絶対に必要であります。
40有余年、点字の校正をして参りましたが、私自身障害者でありますから、情報や資料も乏しいのでいろいろ工夫しております。「NHK」の高校講座、特に「国語」(古典、国語総合、現代文)や「倫理」を聞くように努力しております。各々の先生方が分かり易く解説して下さいますので非常に参考になります。
点字には、もう一つ「漢点字」というものがあります。それは記号にはかわりありませんが「表意文字」がありますのでかなり理解度を増します。ただ全て記憶によるものであることと読み書きが非常に困難を極めることから余り普及しておりません。もし、6歳からこの「漢点字」を学ぶことができたとしたら視覚障害者もあらゆる分野での活躍が可能になると私は信じます。教育の場で「漢点字」が採用されますことを強く願うものであります。
鈴木 幸枝
「点字校正をはじめたきっかけ」
昭和49年3月、静岡県立浜松盲学校(現浜松視覚特別支援学校)を卒業して七年間、市内の治療院で働きました。そして昭和56年に念願の家ができ実家のそばで開業しました。開業当初はひまなのも手伝って大作の「徳川家康」の点字で写したものを読み始めました。私は途中失明ですので盲学校を卒業したとは言え点字を読むのが遅くてもどかしい限りでした。斜め読みの様なことをもしてみましたが駄目でした。
そんな時に盲学校の竹内先生から「点字の校正をしてくれませんか」とのお話がありました。その時は正直言って迷いましたが「ゆっくりやってくれればいいですよ」と先生のお言葉に甘えて一冊目をお引き受けしました。校正では、「ちゃんと読まなくては駄目だなあ」と思い読み始めました。
初めの頃は小学生向けのものが多くきました。そのうちだんだん楽しく読める様になってきました。といっても決して早く読める様になったわけではありません。そうして3年程たった時、「読むのが少し楽になったな」と感じました。これなら続けていけると思い嬉しくなりました。
折りも折り、浜松市と掛川市にお住まいの男性が、自分の点訳されたものを直接送って下さり、大人向きのものを校正させてもらう様になりました。
浜松市内の方からは、「天と地と」をはじめ時代物が多く届きました。掛川の方からは現代物が届きました。「潮騒」もわくわくしながら校正させて頂きました。年がすぎ「サラダ記念日」も楽しく校正させて頂きました。これはブームになり多くの見える人と読めて嬉しかったのですがお二人とも故人になられました。でも竹内先生自身の点訳された「万葉集」「山家集」「実朝歌集」など註釈つきの本など、思ってもみなかったものも校正させて頂きました。
もう20年以上も前になりましょうか。パソコンでの点訳が主になり画面上での校正ができるようになり点字盤での校正はなくなるのではないかと心配していましたが、浜松付近ではまだ個人で一点一点点訳され校正が行われています。手書きの文による校正も行われています。皆さんのご健康をお祈りすると共に私も精一杯校正の仕事を続けたいと思います。