社会貢献の功績
髙橋 勇喜
昭和56年4月新田公民館勤務となった私は、地区内老人クラブ単位で普及が始まっていた生涯スポーツの一つであるゲートボールへの取組みを仕事の一貫と考えて、自分の研鑚を兼ねながら積極的に普及に努めていた。
時をほぼ同じくして新生園に、鹿児島県の療養施設「星塚敬愛園」から、ゲートボールのイロハが導入され、細々と園内の老人クラブを中心にスタートした。このクラブの熱心さには目を見張るものがあり、指導依頼に応えて時間の許す限り出かけるという日が続いた。そのうち園内の若手の連中も練習に加わるようになりその輪が広がり、新生ゲートボール愛好会が誕生した。
並行して新田地区の大会を数多く持つことを考え、半分は新生園を会場に開催したが、ある時、いつもは4チームで参加する新生チームが2チームだけで、しかも高齢者だけの構成であった。変だと思って調べてみると、新田地区会員の心ない一言があってのことだと判明した。対外的にも敏感な彼等にトラウマが生じかねないピンチでもあったので、すぐさま新田地区会員全てを集めて、不用意な言動を慎むことを理解し合った。それまでの積み重ねが崩れかねない出来事であった。
その後各種大会にも積極的に引っ張り出すことになったが、特筆すべきは昭和63年気仙沼大島で開催された第3回全国・離島交流親善大会で、我が新生チームが並み居る強豪を退けて頂点に立ったことである。降り続く雨の中、チームのみんなと抱き合って涙を流したことが今でも脳裏に焼きついている。
昭和58年に高松宮様ご夫妻がお成りの際に、私が率いる新田チームと新生チームとの親善試合の模様をご覧いただく機会があり、その後の高松宮杯近隣親善ゲートボール大会がスタートすることが出来た。更に平成11年には三笠宮寬仁親王妃杯女子コスモス大会も始まり、両大会とも県内はもとより東北各地域の選手との親善交流を図りながら現在も続けられている。
新生ゲートボール愛好会の最盛期には40人以上の会員を擁する時期もあったが、物故者や体調不良などの影響からチーム編成もままならないという危機的現状に直面している。新生園で管理運営していただいている2つの宮様大会を中心にお手伝いしながら少しでも後押しを続けて行きたいと願っている。
受賞の言葉
私の活動を振り返りますと、そんな大それたことではなく、当たり前の状況をこんなにも評価していただき大変恐縮しております。入所者との交流は、ゲートボールに限らず俳句や短歌・盆栽・表具等の各分野に亘り、現在も地域との絆が根付いていますし、私自身も趣味の「竹とんぼ」など手作り玩具の製作に当っては、竹細工名人の形見の鉈が毎日のように活躍している現状であります。