社会貢献の功績
柳川 幸子
平成 2 年、私が 60 才の誕生日を迎えた直後、交通事故により視力を失った。
自宅近くの四ツ角で車とすれ違い、乗っていた自転車から下りてやり過ごそうとした矢先の一瞬の出来事であった。バックミラーが左肩と顔面を直撃した。搬送先の病院で砕けた鎖骨の手当をしたが、眼科が無い為、眼の異常に気が付いても診察が出来ず、やっと専門医に診てもらった時には、目全体にヒビが入った状態であった。日本でも屈指の眼科医により最善の処置を施すも、そのかいなく永遠に光を失う事になった。
光を失った当初は、その現実を受入れることが出来ず、生きる目標を失い、人をうらみ自身の不幸を嘆き、暗い一時を過ごした。死ぬ事ばかりを考えていた時期もあった。そのような中、手を差しのべてくれたのが、地元のボランティアガイドの人達であった。散歩のガイドをして頂いて、少しずつ気持ちが落ちついて来た。それから徐々に前向きな気持ちが芽生え、生来の勝気な気持ちを取り戻し、何かスポーツをやってみたいと思うようになった。市の障害福祉課に問い合わせた所、紹介されたのはイスにすわって行なうような物足りないものであった。
もう少し運動らしいものを希望したが、適当なものがなかった。そんななか同じ視覚障害者の人が水泳を習っている事を聞き、早速その会に参加し、教えて頂くようになった。実際に運動してみると心にたまったストレスが発散し、光を失っても泳ぐ事が出来るという自信がわいてきた。
かねてより自分と同じ境遇で、家に引きこもったままの人が多い事を知っており、これまで参加していた教室を、視覚障害の方達が自由に参加出来る会への発展を考えた所、コーチはじめ多くのボランティアの方々の賛同を頂き、会員数を増やしていった。
「スイムでポレポレ」と名付けた会は、障害者の大会にも参加し、メダルを取る選手を出すまでになった。因みにポレポレとは、スワヒリ語でのんびり行こうといった意味で、もともとはスイミングコーチの方が目標として掲げた言葉である。又「スイムでポレポレ」を立ち上げた同時期に、視覚障害の方達が自由に語り合える場があればと思い、考えた末に家族の了解のもと、交通事故の示談金を使い、自宅をバリアフリーに改装し、多くの方が集える場にした。
ポレポレサロンと名付けた会は、月に一回視覚障害の方のみならず誰でも参加を原則として、朗読、コーラス、演奏等月替りで多くのボランティアの方のご協力のもと、運営をしている。今後ともこの会を発展させると共に輪を拡げていきたいと考えている。尚ここまで来られたのは私個人の力ではなく、コーチはじめ多くのボランティアの方達のおかげであり、心より感謝している。
受賞の言葉
今回この様な名誉ある賞を受賞出来ました。これもひとえに、私の活動を理解し、支えて下さった多くの方々のおかげであり、心より感謝致します。今後もこの活動を通じて、障害者と健常者とがへだてのない社会に少しでも近づける様、がんばりたいと思います。