社会貢献の功績
カ・バン・トラン
1952(昭和27)年ベトナム中部で生まれたカバントランさんは、'75年ベトナム戦争によるサイゴン陥落の際に、妻と着の身着のままで辛くもベトナムから脱出した。しかし脱出時の混乱の中で、当時1歳だった長男と生き別れになってしまう。米国に渡ったカバントランさんは、バージニア州のショッピング・モールの掃除夫として雇われた。その後、真面目な性格や誠実な勤務態度を見込んだレストランのオーナーに声をかけられた。レストランで働きながら、度重なる苦労を乗り越えた末に自立し、ローカルレストランチェーンのオーナーとして成功することができた。しかし常にベトナムに置き去りにしてきた両親や息子のことが、頭を離れることはなかった。
カバントランさんは、祖国ベトナムを訪問し念願であった両親と息子と再会した。そこで大きな衝撃を受けた。戦争中あるいは戦後に地雷などで手や足を失った多くの大人や子供が、苦境の中に置きざりになっている姿を目の当たりにしたからであった。支援は何も届いておらず、障害と貧困に苦しむ毎日を送る多くの人々に直面した。そこでレストランオーナーの座を捨て、祖国のために働くことを決意。自ら、VNAHをバージニア州で立ち上げ、故郷ベトナムにおいて地雷や戦争被害者への義足の提供を始めた。
VNAHの活動のための私財にも限りがあり、'92年カバントランさんは支援金を募り、その集まった支援金で、同年にベトナム南部カントー市にリハビリテーションセンターを設立した。また'94年から3年間に中部を中心に義足製作作業所を3箇所設立した。'97年には障害者への職業訓練プログラムを実施し、'99年から現在に至るまでの8年間、ベトナム農村部に生活する地雷や戦争被害者などに、無料で義足を配布する事業を行ってきた。この事業は、政府の支援が届かず、これまで一本の義足も装着したことのない都市部から離れた農村部の被害者に義足を配布するもので、VNAHは特に地雷・戦争被害者が集中しているベトナム中部地域での配布活動に力を入れてきた。'05年からは中部のみならず、少数民族が多く住む北部山岳地域の被害者への支援も開始した。長年にわたる地道な活動が、大きな実を結ぶことになった。'07年9月18日に義足の3万本配布達成記念式典が、ベトナムの首都ハノイにある労働・傷病兵・社会問題省で行われたVNAHはこの事業を通して、農村部の地雷・戦争被害者の自立と社会参加を促進させ、地雷・戦争被害者が人としての尊厳を回復し、そして彼らの生活の質の改善につなげた。
また一方では、孤児やエイズなど社会の底辺で苦しむ人々の自立を支援するため、'92年から10年間、ホーチミン郊外等で孤児やホームレス、障害者に対する職業訓練(機械修理、木工作業等)を実施し、雇用の機会を創出した。その職業訓練を通して約3,000名の孤児が定職についている。'96年にはベトナムのハノイ市などで初めて、エイズ国際会議や危険性をテーマにしたコンサートを開催し、参加者に情報提供と予防対策を実施している。
カバントランさんは今後も引き続き、地道にひたむきに、義足の配布活動と孤児やエイズなどの支援を続けていく計画である。
(注)NGO:民間開発協力団体(NonGov-ernmentalOrganizations)は、国際協力に携わる「非政府組織」「民間団体」のことを意味し、開発・人権・環境・平和など地球規模の問題に国境を越えて取り組んでいる非営利の民間組織をいう。
受賞の言葉
このような権威ある賞を頂いたことは大変名誉なことであり、ベトナム障害者援助組織(Viet-Nam Assistance for the Handicapped)を代表して心より御礼申し上げます。受賞の喜びを今後の活動の糧として、より多くのベトナムの障害者を支援していけるように努力して行きたいと思います。