社会貢献の功績
旗手 正守
百島は瀬戸内海中部に浮かぶ芸予諸島の島である。山陽道筋のほぼ中央に位置し、尾道市の中心部から約6キロメートルほど沖にある。尾道港と島内の港の間をフェリーや旅客船で結んでいる。一頃3,000人ほどもあった島の人口も600人台まで減少し、高齢化率(注)も61%と高い。
旗手さんは、兵隊として台湾で終戦を迎え、百島の自宅に戻った。百島ではタバコと柑橘栽培の農業を営み、農作物を本土に運ぶために船を使っていた。現在の救急船の旗正丸(はたしょうまる・5トン)は、3代目の自家用船である。
百島はのどかでいい島であったが、救急患者が出ると救急用の医療機関がなく、本土まで送らなければならなかった。当時はその度に海上保安庁に要請していたが、船を出してもらうことに時間がかかり、しかも島の近くで待機しなければならない大型船のため、島内の港から小船で運ぶことになり、船が動き出すまでに1~2時間もかかっていた。そんなところから尾道市から旗手さんに、自家用船による救急患者の搬送業務を依頼された。昭和47年のことである。旗手さんは、救急患者の搬送業務は誰かがやらなければならない、と思っていたこともあり依頼を引き受けた。業務の内容は、島内で発生した救急患者を本土の医療機関に搬送するために、自家用船で本土側に待機している救急車まで海上を搬送する業務である。
業務は1日に2回の依頼がある日もあれば、1ヶ月なにもない月もある。しかし24時間体制で年中無休である。携帯電話を日中は身につけ、夜は枕元に置く。いつでも出掛けられる服装で就寝する。本土側の救急車の手配など奥さんも手助けをする。精神的な負担は、想像以上のものがある。依頼があれば夜間は勿論、定期船が欠航する厳しい天候の日でも搬送する。
現在、市では1回の出勤に燃料費込みで昼間8,500円、夜間10,500円を支払う。出動回数は年間30件位である。中には本土側へ搬送した救急患者が搬送先で亡くなり、葬儀のためにまた島へ逆に搬送しなければならない時などは、つくづくつらくなると旗手さんは思い出を語る。
この業務を35年間続け、旗手さんも86歳。現在も農業と搬送業務を続けている。市側も後継者について検討を進めているが、「島民の皆さんから、続けてほしいと言われる間は頑張りたい」と責任感は現在も変わらない。
(注)高齢化率 : 65歳以上の高齢者人口が総人口に占める割合
受賞の言葉
此度は、社会貢献の功績という名誉な賞をいただき、誠にありがとうございました。多面にわたり、心温まるおもてなしに感激してます。35年間、あっという間に月日が過ぎ、風雨の日も島民の支えあり、救急船に従事させてもらい感謝しております。これからも、健康に留意し、微力ながら島民の方のお役に立てればと思っています。