第三分野/特定分野の功績
山本 一春
山本 若子
1973年、山本さん夫妻に二分脊椎と水頭症という難病を持った初孫が生まれた。「守」と名付けられた。医学の粋を集めた処置で命は取り留めたものの、身体障害者手帳1種1級、最重度の障害児となった。2年後、弟武寛君が生まれた。障害はなかった。山本さん夫妻、娘夫妻、守・武寛兄弟の3世代6人の一家は、守君を中心に互いを思いやる強い絆に結ばれた家族となった。
1975年、守君が行った先々の施設や病院で良くして貰った恩返しにと、山本さんは障害を持つ子ども達とその家族を無料芋掘りに招待して楽しく土に親しんでもらうことにした。自分の畑、約1,000坪に芋を植え、収穫時期に在宅障害(児)者や施設の人々30か所、およそ1,000人ほどを招待した。招待者は1975年秋から2005年までの30年間に約3万人に上った。
マイクロバスで芋畑に着いた子供たちは秋風の中、陽光を浴びて芋を掘り歓声を上げる。泥だらけになって掘る肢体不自由児、丁寧に掘る視覚障害児、力の限り走り回っては掘る知的障害児、掘った芋を寮の先生にあげる孤児達。どの子も夫妻にとっては孫であった。芋堀りが終わると一春さんは、赤い大型トラクターに一人ずつを乗せて畑を回った。子ども達の成長につれて招待先は福祉作業所や成人施設、老人福祉施設等へと拡がって行った。招待者間の交流も拡がった。招待に対する山本さんへのお礼の手紙は30年間で大きなダンボール箱2杯になった。山本さんの宝物である。
現在、32歳になる守さんは宮崎市役所の委託職員として得意のパソコンを駆使して市の身体障害者体育館の運営実務をこなしている。芋掘りへの招待活動は、開始から30年の節目を迎え、守さんが自立し、山本さん夫妻が共に80歳を迎えることで、昨年をもって終えることにした。
受賞の言葉
山本 一春
この度は身に余る賞を戴き、喜びと驚きが交錯いたしております。
実は私、表彰式当日、常陸宮殿下から直接お言葉を賜りました。「本日はおめでとうございます。遠い所からよくお越しになりました。」と…。80歳になる私の人生でこんなに輝く日があったことを一生忘れません。ありがとうございました。
山本 若子
この度はありがとうございました。本当に光栄に存じます。
私たち夫婦は障害をもつ方々へ無料での芋掘り招待を30年間続けて参りました。芋掘り開始当時に来ていただいた子供さんが、結婚され子供を連れて芋掘りにいらっしゃいました。改めて30年の歳月を感じます。芋掘りを通じての延べ3万人との交流は私の宝物です。