第二部門/多年にわたる功労
鈴木 昭二
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鈴木さんは、自衛官の時代には志願して不発弾処理隊に加わり、米軍が投下した不発弾を処理する日々を送った。定年退官した後に勤めた機械メーカーも6年前に退職し、悠々自適の生活を送る中で自分の技術を生かすことの出来る場所を密かに求めていた。その鈴木さんに自衛官OBで組織する「日本地雷処理を支援する会(Japan Mine Action Service:JMAS)」が声をかけた。「カンボジアの不発弾処理に行ってくれないか」。即座に応じることを決断し、妻子の同意を得た鈴木さんは、そこに第二の人生をかけることにした。
JMASは、自衛官OBが、2001年9月につくった特定非営利活動法人である。カンボジア東部にはベトナム戦争当時の空爆による不発弾が数多く残され、今もその被害は大きい。しかし大規模の人員と多額のコストを要する地雷処理は、発足間もない組織には負担が重いため、JMASは少人数でできコストも比較的少ない不発弾処理からその活動を開始した。カンボジアでは対人地雷以上に死に直結する不発弾事故が多く、農業で生きるこの国の復興に不発弾処理は欠かせない。
JMASはカンボジア地雷処理センターと協力して不発弾処理の活動にあたったが、鈴木さんは我国不発弾処理の第一人者として昨年まで作業現場のプレイベーン州で2年間及びスバイリエン州で1年間それぞれ6名の現地スタッフを指揮して不発弾処理作業を行って来た。危険と向かい合う日々。裸足の子ども達が教えてくれた不発弾を炎天下で黙々と処理する。雨期には道路が冠水し不発弾の発見は困難を極めた。2002年7月から開始された作業で処理された不発弾は2005年5月末現在45,126発にのぼる。2005年央から鈴木さんはJMAS理事として東京のJMAS本部に勤務し、地雷や不発弾による惨禍をなくすため活動を続けている。2006年からはラオスで不発弾処理のための活動を行なう。
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受賞の言葉
不発弾処理という危険な仕事を長期間実施して、五体満足な身体で定年を迎えることができた私は、私を取り囲む皆さんのおかげと感謝と感激で一杯でした。この気持ちを皆さんにお礼をしたいと考え、不発弾で苦しむカンボジアでの不発弾処理を皆さんに代って奉仕して感謝の気持ちを表すことができ、この度の受賞につながったものと思います、「感謝」と「奉仕」です。ありがとうございました。