第二部門/多年にわたる功労
王 蕙懿
王さんは昭和59年に台湾から来日した。当初は日本語の会話を学ぶことができず、単語は覚えているが話ができないという状況で、家庭の中でも英語で話さねばならなかった。夜間中学に通い、ボランティアの日本語講座に出席などするうちに、徐々に仲間もでき、4年ほどすると日本語の会話にも生活にも慣れてきた。語学仲間には中国からの帰国残留孤児が増えてきていた。
戦争の犠牲者として中国残留を余儀なくされた孤児や婦人たちの、帰国後の生活は予想以上に厳しく、とくに中高年になってからの日本語の習得・過酷な仕事・不安定な生活・地域社会からの疎外・文化習慣の不慣れ・子どもたちの教育問題など、日常生活には大きな問題が山積している。その中にあって、物心両面で長年これらの人々を支える王さんは、奈良に暮らす中国人や帰国孤児たちから「中国人のお母さん」と呼ばれて信頼と尊敬を集めている。また、帰国者の孫(3世)にあたる子どもたちのためには、日本語講師として各学校へ出向いたり、国際理解教育にも積極的に協力されており、子どもたちは「王(わん)おばさん」と大変慕っている。
なかでも、医療関係で人命救助にもかかわる活動は24時間態勢で続けている。深夜、原因不明の高熱のため救急車で入院した2歳児、頭に大怪我をした中国人主婦、ストレスで錯乱状態になり入院した残留孤児の妻、食道静脈瘤により緊急手術をした残留孤児の女性など、王さんが現場に駆け付け医療関係者に適切な補助をしたお陰で、命を取り止めたり、大事に至らなかった例は数多い。
医療関係者からはレベルの高い通訳能力が要求されるうえ、入院・検査・結果の説明、手術や処置の立ち会い・看病・家族へのフォローなど、一人一人の患者ごとに何度も病院や家に足を運ばなければならない場合がほとんどだが、必ず最後まで対応している。昨年、大阪で再生不良性貧血の中国人小学生が緊急入院し、本人も母親も日本語が通じず奈良に連絡が入った例があったが、その際も中日通訳ボランティアを組織して医療者と母親との間に入り、重要な役割を果たされた。治療内容や可能性、副作用の説明・承諾書など、仲介者の存在なくしては治療は困難だったと思われる。現在、その男児は快復し退院している。
「来日当初全く日本語が分からず、友人もいないという孤独と不安の中で毎日泣き暮らしていた。いま困っている人の気持ちは自分が一番よく分かる」という王さんは、ご主人の支えがなければ何もできないからとても感謝している、と語る。他にも、奈良県の自立指導員、民間通訳として行政への協力や、外国人児童とその保護者を支援する市民グループ「ナラ・ファミリー&フレンド」の設立運営委員としても活躍している。