平成11年度 社会貢献者表彰
第二部門/多年にわたる功労
きたじま あつし
北島 厚
(昭和 6.12. 1生・神奈川県津久井郡城山町)
町長の公務を果たす傍ら妻と共に、痴呆症になった母親の過酷な介護を7年間にわたって続けた。さらにその後6年間、病に伏した妻の世話と日々の家事を、町長の激務と両立させた。自らの介護体験をこれからの福祉行政に生かそうと尽力されている。
推薦者:事務局
昭和59年、氏は痴呆症の母親を抱えて神奈川県城山町の町長に当選、介護と町長職の二足のわらじ生活が始まった。朝、役場への登庁途中に母親を背負って病院に行き、公務で時間がとれないときは、妻が一輪車に座布団を敷いて乗せ送り迎えした。
痴呆による徘徊を繰り返す母親を、昼は妻、夜は氏が面倒を見る二人三脚の介護を続けた。夜の会合もいったん家に戻り母親を風呂に入れてから出かけ、夜間のおむつの取り替えも行った。
過酷な家族介護を見かねた保健婦が、ホームヘルパーを頼むよう勧めたが、町長の立場でそれは言い出せないと介護サービスは考えなかった。
7年後に母親が89歳で亡くなるまで、介護に明け暮れる生活が続いた。
母親の逝去からほぼ1年後、今度は妻が糖尿病による視力低下や関節痛から寝たり起きたりとなり、その世話も氏の肩にかかった。食事の世話、掃除、洗濯など、主夫業と町長としての公務を両立させる日々が6年間続いた。
3年前に妻を亡くした。氏はいま、助けを必要とする人に確実に介護サービスをつなげる仕組みの必要性を痛感している。
介護サービスを依頼しなかったことで、妻に過重な負担をかけたとの氏自身の後悔の念から、介護で苦労した人に地域相談員になってもらい、サービス受給者の掘り起こしをしたいと考えている。
また、要介護認定についても保険財政を考えて厳しく認定するのではなく、当初の赤字覚悟で少しでも介護の苦労から介護者を救い上げ、介護保険を定着させたいとの思いが強い。