第二部門/多年にわたる功労
春日 行雄
平成9年、モンゴルの首都・ウランバートル郊外に「テムジンの友塾」を開設した。同国の経済自由化に伴い、貧富の差が拡大して失業や離婚が急増した。氏は、家や親を失いストリートチルドレンとなった孤児達の家庭を作ろうとの願いから、近郊の土地2ヘクタールを借り、9棟のゲル(フェルト製の移動式住居)を建てた。
塾名は、子ども達に自覚を促し誇りと目標を与えるため、民族の英雄チンギス・ハーンの幼名“テムジン”にちなんだ。
子ども達に住む家、着るもの、食事、学ぶ機会を与えよう、家庭を作りそこから学校に通わせようという計画で、7歳から15歳までの男女が生活している。通常は現地のモンゴル人夫婦が管理しているが、開塾以来、夏になると氏は3ヶ月間、塾で子ども達と一緒に暮らす。自ら塾内外のゴミを拾い、子ども達も朝夕それぞれ1時間、牛や羊の世話、薪割り、水運びなどの作業をする。
塾にかかる経費は、氏の年金を充てている。冬には氷点下30~40度にもなるため、近くにある未完成の2階建てビルを越冬舎として確保した。暖房工事など約500万円の改修費にも私財を投入した。これまでに約50名の世話をしている。
大陸にあこがれ18歳で単身モンゴルに渡った。軍医候補生に推薦され卒業したが終戦となり、ウランバートルで2年間抑留生活を送った。モンゴル語のできる医者として、過酷な労働に耐える抑留者のために尽くした。帰国後は保健所長、工場医、船医、生保社医と転じた。
医療に精励する傍ら、昭和40年日本モンゴル協会の設立にも参画し、平成元年にはノモンハン事件50周年の初の現地慰霊訪問、またウランバートルの抑留日本人墓地建設など、抑留者の慰霊に献身的に奔走し、実現させた。モンゴル関係書、資料の収集でも知られ、5万冊の「春日モンゴル文庫」を所蔵。著書に「ウランバートルの灯 みつめて五十年」がある。
氏は人生の締めくくりの仕事として、『人生を学ばせてもらったモンゴルへの恩返し』と、子ども達の将来に夢を託している。