石原 晃
1980年代のマダガスカル共和国で、多くの人が実現すると信じなかった海洋漁業開発と、冷凍海産物の流通及び販売網の構築を日本の援助によって成功させ、更に近隣国への輸出を主導した。四方を海に囲まれながら殆ど未利用だった海洋水産資源を貴重な蛋白源として国民に提供し、同時に雇用機会の創出や外貨獲得という偉業を石原さんは達成した。そして概ね20年の後、在マダガスカル日本大使館に勤務した際には、期待通り発展していた水産業の更なる成長のために「海の恋人」と呼ばれる森林の育成が、そして世界でも貴重な同国の固有種動植物の保護のためにも自然林復原が不可欠であることを痛切に感じた。
石原さんは大使館勤務の激務の中で、 NPO法人アジア母子福祉協会(AMCWA)の協力を得て2008年から植林活動を開始した。2009年から同国の中央高地一帯に植えた桜は、今では毎年春になると満開の美しい花を咲かせ、同国の人々に「サクラ」が親しまれるようになった。2011年から開始したアンバトランピ市の児童養護施設への文房具、衣類、食料などの継続的支援を契機に、施設の敷地内で苗木作りや植林を行うこととなり、子どもたちに接ぎ木や植林の仕方を教えるようになった。同国の固有種動植物が共生できない外来種のユーカリとカリビヤ松を引き抜き、自ら育てた固有種樹木や桜の苗木を植林する。
植林は成果が見られるまでに長い年月と膨大な労力を必要とする地道な活動だが、同国の子どもたちの将来を見据えた活動を継続して来た。また、同国に近いモーリシャスに於いても桜の植樹を続け、沿岸漁業開発に対する技術協力を要望されていた。
(石原晃さんは日本に帰国中の2020年3月14日に急逝されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。)
この度、亡き父が、公益財団法人社会貢献支援財団から「社会貢献表彰」という名誉ある賞をいただき、家族として大変嬉しく思っております。受賞予定であった父が亡くなったにもかかわらず、予定通り受賞を決定してくださった財団関係者の方々に、厚く御礼申し上げます。父は社会貢献表彰の受賞を楽しみにしていました。受賞式前に亡くなったことは残念ですが、当人も大変喜んでいることと思います。
父は45年前の1975年に海洋漁業開発のため、初めてマダガスカルへと渡りました。その後、様々な国や地域を仕事で訪れた父でしたが、度々マダガスカルと関わる機会があり、マダガスカルに魅了された父は、人生の最期はマダガスカルで活動することを決めていました。その後、同国の水産資源守るためには動植物の保護が必要と考え、2008年から植林活動をはじめました。
父は植林の専門家だったわけではありません。しかし、日本国内にいる植林専門家に話を聞くなどして植林についての知識を増やしていきました。桜の植樹をメインの企画にしていましたが、最初は上手くいかないこともあり、悪戦苦闘していたのを覚えています。しかし、何年も活動していくうちに、苗木作りや接ぎ木のコツに気付き、桜の植樹に成功しました。
異国の地での植林活動は、体力面で大変ですし、成果が出るまで何年も時間を要します。それでもマダガスカルや現地の人々の生活に貢献できること、また子供たちの将来を考えて植林活動を亡くなる直前まで続けてきました。父の活動指針は、自分がお金を稼ぐためではなく、異国の地に、赤の他人が行って活動するのだから、その国が発展すること、現地の人たちの生活水準が少しでも良くなることが第一で、貢献できることが幸せでした。その成果もあり、大使館前に桜並木を、その他の地域においても桜の植樹に成功し、桜以外の植物の育成もすることができました。
父は亡くなりましたが、一緒に活動してくれた現地の方々が、父の築いた植林活動を続けてくれることを約束してくれたことを嬉しく思っています。父の活動が、今後も続いていくことを祈っています。
この度は、本当にありがとうございました。
石原 晃(代筆 阿部 雅玖)