2007年に石巻赤十字病院の医療社会事業部長に任命されてから、病院災害対策マニュアルの全面改定に着手し、翌年に担当者実名入りのマニュアルを完成させ、2011年2月に宮城県災害医療コーディネーターに就任した。東日本大震災発生時、同病院は、マニュアルに基づき職員一人一人が無駄のない動きで来院した被災者に対応出来た。また、被災で機能不全に陥った市役所に代わり、自ら避難所環境の調査をしたり、全国から駆け付けた医療チームの支援を災害医療コーディネーターとして取り仕切り、石巻圏合同救護チームを立ち上げ、延べ3,633チームを陣頭指揮を執った。(救護班は延べ53,696人の患者に対応した。)
社団法人 宮城県医師会 会長 嘉数 研二