受賞者紹介

平成24年度社会貢献者表彰「東日本大震災に貢献者表彰」受賞者紹介

佐藤 善文
チリ地震を契機に、三陸でも近いうちに地震による津波で甚大な被害を被る事態を想定していたことから、自宅の裏山を私財を投じて避難所として利用できるように10年かけて整備していた。高さ30m程の山に4方から昇れる石段を作り、頂上には広場と東屋、8畳ほどの小屋を作り、食料や水、燃料などを常時備蓄。大地震直後は40名程の人が既に避難してきていた。津波は直ぐにやってきて更に30名程が命からがらに避難し合計70名程の人が避難し、自衛隊が来るまでの2日間を過ごした。日頃、山は「佐藤山」と呼ばれ、時に変わり者と呼ばれながらも、結果的に70名もの人命を救うこととなった。
公益財団法人 社会貢献支援財団
小松 幸司
陸前高田市で震災で大津波警報が出ている中、近所の小学校へ避難していたが、車いすの夫を連れての避難を諦めた老夫婦がいることを知り、津波が堤防を越えていたにもかかわらず高台にある避難所を下り、高齢者夫婦の自宅へ入って65kgの夫を背負い、近隣の人の助けを借りながら、その妻と一緒に避難所まで連れて救助した。老夫妻の自宅はその後2階まで浸水した。
佐藤 咲恵
故 佐藤 充
水産加工会社は14〜5mの高さの所にあったが津波により事務所と工場の総てを消失した。同社専務の充氏は、地震発生後すぐに中国人20名の研修生や従業員を避難させた。従業員、両親や社長である兄の無事を確認した後、消防団員でもある充氏は、戻って救助活動を続け犠牲となられたと思われる。
公益財団法人 社会貢献支援財団
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故 二瓶 幸夫
仙台市宮城野区で町内会役員を務めており、震災直後に避難するよう呼び掛けながら町内を走って回り、家族を学校に避難させた後見回りに戻り、避難誘導している時に津波に流され犠牲となられた。
港町内会/仙台市宮城野区
故 遠藤 兼光
仙台市宮城野区で町内会役員を務めており、震災直後に避難するよう呼び掛けながら町内を走って回り、家族を小学校に避難させ、人々を校舎へ誘導し避難したのを見届けてから町内を見回りに戻り避難誘導している時に津波に流され犠牲となられた。
港町内会/仙台市宮城野区
故 鈴木 勝
仙台市宮城野区で町内会の役員を務めており、震災直後に避難するよう呼び掛けながら町内を走って回り、家族を小学校に避難させ、人々を校舎の屋上へ誘導し、避難を見届けてから町内へ見回りに戻り、避難誘導している時に津波に流され犠牲となられた。
港町内会/仙台市宮城野区
故 平山 一夫
仙台市宮城野区で消防団員をしており、大地震の後に消防車で町内を回って避難するように呼び掛けて回った。避難誘導している時に津波に流され犠牲となられた。
港町内会/仙台市宮城野区
故 菅野 智之
陸前高田市で、大津波警報が出ているなか、祖母を安全な場所に避難させたたあと、地域の消防団に加わり、避難する車で渋滞していた道路で、交通整理を行なっていたが、津波にのまれ犠牲となられたと思われる。当時菅野さんはコンビニエンスストアに勤務しており、震災から5ヶ月後、店舗が営業を再開するとお客から「菅野さんが車を誘導してくれたおかげで逃げることが出来た」と感謝されたという。
近江 恵子
故 石川 拓真
地震発生時、警備会社に勤務する石川さんは、同僚の江刺家光彦さんと共に業務のため石巻市北上総合支所に来庁していた。大津波警報が発令されている中、社用車で避難出来たにも関わらず、同支所に避難してきたデイサービスセンター利用者の高齢者を2階に抱え上げたり、付近住民の避難誘導を行なっていたところ行方不明となった。
石巻市北上総合支所地域振興課
故 江刺家 光彦
地震発生時、警備会社に勤務する江刺家さんは、同僚の石川拓真さんと共に業務のため石巻市北上総合支所に来庁していた。大津波警報が発令されている中、社用車で避難出来たにも関わらず、同支所に避難してきたデイサービスセンター利用者の高齢者を2階に抱え上げたり、付近住民の避難誘導を行なっていたところ行方不明となった。3月27日避難誘導していた建物から約1km離れた場所でご遺体となり発見された。
石巻市北上総合支所地域振興課
故 梶原 勝雄
石巻市で、浸水した自宅の2階に妻といたところ、家の2階部分ごと流され、助けを求め屋根に上がり危険な状況にいた母子3人が現れた。浮き輪などを投げ救助を試みるが失敗。ついに水に飛び込み泳ぎ、母親を激励して子どもを抱いたまま電柱まで泳いでくるようにと叫んだ。母親と子どものひとりを先に自宅へ這い上がらせ、もう一人の子どもを抱えて家の淵につかまるが、そのまま水の中で動けなくなった。子どもは母親が引きずりあげ、梶原さんは妻によって引き揚げられたが、力尽きて亡くなられた。
高橋 茜
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崎山 文衞
大船渡市赤崎町の漁師男性78歳が所有する漁船のもやい綱を延長しようと蛸の浦漁港の岸壁へ下がったところ、大津波に呑み込まれた。その後、同町の民家の屋根に絡まったロープにしがみつき津波の第一波が引くのを耐えているところを、付近の保育園に避難していた人々は呆然と見ていただけだったが、崎山さんは引き潮が終わると同時に瓦礫を踏み分け、屋根の上から降りてきた男性に肩を貸し、近所の高台の住宅へ避難させた。
大船渡市漁業協同組合
細川 繁一
大船渡市の避難先で大津波に飲まれ、水に沈みながら流され助けを求める女性に気が付き、着衣のまま4メートルの高さから飛び降りて手を差し伸べ、海水を何度も飲みもがき苦しみ、水を含んで重たくなった女性を必死に引き揚げ救助した。その後も押し寄せる大津波に何度も襲われる中、フェンスに必死に捕まり一命を取り留めた。
高橋 節子
津田 廣明
大震災発生時、石巻市の石巻みづほ第二幼稚園にて、大地震、大津波から園に残っていた園児、職員など23名を、卓越した判断力と指導力で守った。震災後「津波9メートル」の情報を得て送迎バスで避難することも考えたが、交通状況から無理と判断した。津波が迫ってくるのが見え、2階のゆうぎ室にいた園児を窓から棟続きのボイラー室の屋根に移動させ、3.5m上の屋上に梯子をかけて園児を登らせ、先に上った職員に引っ張り上げ、全員を屋根の上に避難させ一夜を過ごした。水はボイラー室の屋根まで迫っていた。(園には約140人の園児が通っており、園に残っていた11名は間一髪で難を逃れたが、既に帰宅していた7人が津波に巻き込まれて亡くなった)
社団法人宮城県私立幼稚園連合会 理事長 村山 十五
宮城県知事 村井 嘉浩
陸前高田市立広田中学校
陸前高田市立広田中学校の生徒たちは、震災による大津波が押し寄せる中、避難先の高台に向かう途中にある、広田保育園の園児に遭遇。保育士だけではとても手が足りないことから、同校の3年生の生徒らは2~3歳の園児を抱っこしたり、両脇に抱えながら、急こう配の草むらを駆け上がり、結果39人の園児を高台に避難をさせた。同保育園には高さ約1.2m程の波が押し寄せ、床上浸水の半壊となった。
鵜浦 昌也
後上 勝俊
名取市の宮城県農業高等学校で、大震災発生後、生徒ら200名程は校舎の3階に避難したが、地上にいた教員1名と生徒1名が津波に飲まれた。誰もが二人は亡くなったと思ったが、流された生徒から携帯電話で連絡を受け、一緒に流された教員の生存も確認された。後上氏は、余震が続き津波も引かず、暗くなり、雪も降るなか、救助に名乗りを上げ、腰まで水につかりながら2名を救った。
昆野 慶太
有限会社 マリンメカニック
七ヶ浜町で船舶販売会社「マリンメカニック」を営む今崎真幸氏と社員の鈴木茂貴氏は、津波被害の多かった多賀城市で唯一残った水上バイクで救難活動を行なった。浸水により家屋に閉じ込められたり、歩道橋、水没した車の上、電信柱にしがみついている人などを次々に救出。寒さや暗闇、余震の続く中、近くで活動していた消防の救助用ボートを牽引するなどして、100名もの人を救助した。
特定非営利活動法人 パーソナルウォータークラフト安全協会
大槌町消防団第二分団
大槌町消防団第二分団41人の団員は、町内にある15~6ヶ所の水門を2~3台のポンプ車等で閉鎖した後、高齢者などの救助活動や消防屯所の半鐘を鳴らし続けたりする中で、11名の団員が津波に襲われ死亡または行方不明となった。
大槌消防署
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