公益財団法人 社会貢献支援財団
受賞者代表・ 大分県フィリピン友好協会 会長 吉武ロドラ さん
フィリピンの恵まれない子供達や国内の助けの手が必要なフィリピン人の為に活動しております、大分県フィリピン友好協会会長、吉武ロドラと申します。この度は大変名誉な賞を賜り、心から感謝申し上げます。
大分県フィリピン友好協会は1995年の阪神淡路大震災をきっかけに設立されました。フィリピンでは地震は滅多に起こりません。異国の地で大地震に襲われた同じフィリピン人の気持ちを思うと矢も楯も堪らず食糧支援をしようと決意したのですが、自分一人の力では限界があります。幸いなことに被災地の同胞を助けたいと思うフィリピン人は多く、それぞれの家族や伝手を頼った結果、お米など想定より多くの食糧が集まり支援に成功しました。一人で出来る事は小さくても集まれば大きな力になる。そう実感し、友好協会の会員と共に大分県内とフィリピンを中心にボランティア活動を開始しました。
フィリピンでの活動は主に食糧・物資支援や医療支援、そして貧困世帯の生活改善です。日本は四季があり、物に溢れた豊かな国です。夏物は一年の内3か月しか使わず、子供ともなればサイズアウトでそれきり使わない事も多々あります。サイズの合わない服や擦り切れそうなサンダルか裸足で駆け回る恵まれない子供達の手に渡れば、捨てられる筈の衣料品でどれだけ喜ぶだろう。そんな思いから会で集めたまだ使える綺麗な衣料品を恵まれない子供達に寄付すると、どの子供も輝くような笑顔で嬉しそうに受け取ります。自分のサイズの自分だけの服や靴がある事が嬉しいと語る小さな子ども達に、一度きりの支援ではなくもっと出来る事はないだろうかという思いは強まる一方でした。
必要なのは一度で終わる寄付ではない、根本的な生活改善です。
そこで大分高専さんのご協力の元始まったのが貧困地域への足踏みミシン寄付活動でした。電気代どころか子供の小学校の学費も払えない家庭では、電気代の要らない足踏みミシンは大変有難い存在です。ミシンと元手となる布や糸の寄付と同時に使い方と修理方法を教え、更に販路開拓のサポート、地域の顔役の方や神父様の協力の元経過をチェックすることできちんと生活改善に漕ぎ着けられました。寄付から一年後、嬉しそうに子供を小学校へ通わせられるようになりましたと報告してくれたお母さんの顔は今でも忘れられません。火山の噴火で致命的な被害を受けた農村部からレイテ島の津波被害を受けた漁師町と様々な地域で行っている足踏みミシン寄付活動ですが、奇しくもコロナ禍をマスクの制作販売で乗り切れたという報告を聞いた時には活動していて良かったと思いました。
また、言葉の拙さや文化の違いから深刻な悩みを抱える在日フィリピン人の多さから、毎月のタガログ語無料相談会や出張パスポート更新、交流イベントの開催などを行って来ました。中でも働く意欲が強いにも関わらず正社員になれない相談者は特に多く、後期高齢者社会で人材不足の日本社会で何とか活躍できるようにならないかと思い、様々な方のご協力の元無料で日本語を学ぶプロジェクトを開始しました。現在は大分県内で多くのフィリピン人が正社員として働いています。
1995年から現在まで恵まれない人々の生活改善を目指して様々な活動を行って参りましたが、どれも私一人では到底不可能でした。人と人が手を携える事でより大きな力となり、より多くの方を助ける事が出来ます。疫病や気候変動など厳しい時代だからこそ、人の繋がり、心の繋がり、人種を超えた助け合いがより大事になって来ると思います。「one heart」、全ての人が心を一丸にして明るい未来を拓いていけるよう、これからも励んで参ります。
大分県フィリピン友好協会 会長 吉武ロドラ
フィリピンの恵まれない子供達や国内の助けの手が必要なフィリピン人の為に活動しております、大分県フィリピン友好協会会長、吉武ロドラと申します。この度は大変名誉な賞を賜り、心から感謝申し上げます。
大分県フィリピン友好協会は1995年の阪神淡路大震災をきっかけに設立されました。フィリピンでは地震は滅多に起こりません。異国の地で大地震に襲われた同じフィリピン人の気持ちを思うと矢も楯も堪らず食糧支援をしようと決意したのですが、自分一人の力では限界があります。幸いなことに被災地の同胞を助けたいと思うフィリピン人は多く、それぞれの家族や伝手を頼った結果、お米など想定より多くの食糧が集まり支援に成功しました。一人で出来る事は小さくても集まれば大きな力になる。そう実感し、友好協会の会員と共に大分県内とフィリピンを中心にボランティア活動を開始しました。
フィリピンでの活動は主に食糧・物資支援や医療支援、そして貧困世帯の生活改善です。日本は四季があり、物に溢れた豊かな国です。夏物は一年の内3か月しか使わず、子供ともなればサイズアウトでそれきり使わない事も多々あります。サイズの合わない服や擦り切れそうなサンダルか裸足で駆け回る恵まれない子供達の手に渡れば、捨てられる筈の衣料品でどれだけ喜ぶだろう。そんな思いから会で集めたまだ使える綺麗な衣料品を恵まれない子供達に寄付すると、どの子供も輝くような笑顔で嬉しそうに受け取ります。自分のサイズの自分だけの服や靴がある事が嬉しいと語る小さな子ども達に、一度きりの支援ではなくもっと出来る事はないだろうかという思いは強まる一方でした。
必要なのは一度で終わる寄付ではない、根本的な生活改善です。
そこで大分高専さんのご協力の元始まったのが貧困地域への足踏みミシン寄付活動でした。電気代どころか子供の小学校の学費も払えない家庭では、電気代の要らない足踏みミシンは大変有難い存在です。ミシンと元手となる布や糸の寄付と同時に使い方と修理方法を教え、更に販路開拓のサポート、地域の顔役の方や神父様の協力の元経過をチェックすることできちんと生活改善に漕ぎ着けられました。寄付から一年後、嬉しそうに子供を小学校へ通わせられるようになりましたと報告してくれたお母さんの顔は今でも忘れられません。火山の噴火で致命的な被害を受けた農村部からレイテ島の津波被害を受けた漁師町と様々な地域で行っている足踏みミシン寄付活動ですが、奇しくもコロナ禍をマスクの制作販売で乗り切れたという報告を聞いた時には活動していて良かったと思いました。
また、言葉の拙さや文化の違いから深刻な悩みを抱える在日フィリピン人の多さから、毎月のタガログ語無料相談会や出張パスポート更新、交流イベントの開催などを行って来ました。中でも働く意欲が強いにも関わらず正社員になれない相談者は特に多く、後期高齢者社会で人材不足の日本社会で何とか活躍できるようにならないかと思い、様々な方のご協力の元無料で日本語を学ぶプロジェクトを開始しました。現在は大分県内で多くのフィリピン人が正社員として働いています。
1995年から現在まで恵まれない人々の生活改善を目指して様々な活動を行って参りましたが、どれも私一人では到底不可能でした。人と人が手を携える事でより大きな力となり、より多くの方を助ける事が出来ます。疫病や気候変動など厳しい時代だからこそ、人の繋がり、心の繋がり、人種を超えた助け合いがより大事になって来ると思います。「one heart」、全ての人が心を一丸にして明るい未来を拓いていけるよう、これからも励んで参ります。
大分県フィリピン友好協会
会長 吉武ロドラ