受賞者紹介

第51回 社会貢献者表彰

社会貢献の功績

こまつ みゆき

小松 みゆき

(ベトナム)
小松 みゆき

1992年に日本語教師としてベトナムに渡り、最初の授業で生徒の一人が残留日本兵の子息だったことをきっかけに、残留日本兵との交流、執筆活動を通じ、埋もれていた歴史であった残留日本兵の存在を明らかにした。2015年に「ベトナムの風にふかれて」を執筆し、同年には映画化された。2017年には天皇皇后両陛下ベトナム御訪問の際、元日本兵の家族との面会に尽力し、その後「元残留日本兵の子どもの日本訪問を支援する会」の代表兼コーディネーターとして招聘事業に関わり、13名の残留日本兵の子どもの訪日を実現させ、お墓参りができた人、父子の再会を果たした人もいた。

今やベトナムと言えば若い女性たちが観光地めぐりやカワイイザッカ、ヘルシーなベトナム料理とアオザイファッションに夢中になるのが定番ですが、そこに残留日本兵の妻や子、家族が存命して居る事実はほとんど知られていないでしょう。

2017年3月、天皇皇后両陛下が平成最後の外国訪問の地としてベトナムを選ばれ「ベトナム残留日本兵」の妻子とご接見し、それぞれにやさしく声をかけられた瞬間からスポットが当たりだしました。そのとき私は、半世紀以上も止まっていた時計が急に動き出したような印象を受けました。

これを機に彼らはその年の秋、「父の国」日本訪問への道が拓けたことは長い間、苦難の道を歩んできた彼らへの大きな贈り物だったと思います。それは日本財団のおかげで実現しました。一部の方ではありますが墓参や家族との交流、再会もできました。これは儒教の国の彼らにとって「父親のルーツ」の大切さにふれ皆も声を上げて歓んでいました。この日本行きはNHK BS1「遙かなる父の国へ~ベトナム残留日本兵 家族の旅路~」という題で2018年3月24日放映されました。

これからは残る人たちの消息探しや家族面会、墓参実現の仕事が残っています。

彼らはベトナム各地に点在し、交流もなくばらばら状態でしたがこの日本行きを機に同じ境遇の人たちと情報を共有しあうようになりました。また子や孫の世代のもこの歴史を伝えて行こうということで家族会をつくろうということになりました。

12月15日、古稀、還暦を過ぎた子どもらや大学生から40代の孫世代が会場に集まり家族会を結成しました。ハノイ市内をはじめ、遠くタイグエン省、バクザン省、ハイフォン市、タインホア省からも。今後も「お墓は見つかったけれど墓参ができていない人」「父の消息が分からない人」などなどルーツ探しは続きます。

それにしても大人世代は1945年まで戦争があったことは歴史の教科書で知っていますが、ベトナムの孫世代になると「どうしてベトナムに日本軍がいたの?」「どうして祖父は残ることになったの?」「どうしてベトナムの独立戦争に日本人が参加したの?」と思っても、親世代はこれらに答えられません。彼らはずうっと考え続けるでしょう。

私はこれまで彼らの存在を知ってほしい、父親探しやお墓探しに協力したい、という思いでやってきただけですが思いがけず社会貢献賞を頂きました。きっと今後もずうっと続けなさいという意味なのかなと思い、これからもできる範囲でお手伝いしてゆこうと思います。

ありがとうございました。

  • 在ベトナム梅田邦夫大使に初めて残留日本兵の妻3人と子供、孫を紹介しているところ(2016年12月)
    在ベトナム梅田邦夫大使に初めて残留日本兵の妻3人と子供、孫を紹介しているところ(2016年12月)
  • ある残留日本兵家族の食事風景(妻と子ども3人と孫たち)(2017年春)〜この家族のおかげで交流が続けられた〜
    ある残留日本兵家族の食事風景(妻と子ども3人と孫たち)(2017年春)〜この家族のおかげで交流が続けられた〜
  • 天皇皇后両陛下と会った日の記念撮影(2017年3月2日)15家族
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  • 夢にまで見た「父の国」行きが実現し修学旅行生のように喜ぶ一行(羽田空港)(2017年10月)
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  • 雨の墓地で「お父さ〜ん」と墓を抱く息子(2017年10月)
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