社会貢献の功績
横井 敦子
1950年代に大流行したポリオ(脊髄性小児麻痺)は、60年代には患者数が5千人を超えた。その後生ワクチン接種によって患者数は激減したものの、その毒性がゼロではなかったため、ワクチンによる感染者も増え続けた。2012年にようやく不活化ワクチンに切り替わり、新たな感染はなくなったが、後遺症(ポストポリオ症候群:PPS)に悩む患者も多い。
横井敦子氏は、自身も5歳でポリオを発症し、後遺症で両足に麻痺が残る中、持ち前の頑張りで医師となり、1998年に「ポリオ友の会東海」を発足し、代表を務め、医師としての経験を生かして、患者に寄り添い、専心してきた。一昨年、顧問に退いた後も患者からの電話相談は絶えず、昼夜を問わず献身的に応じている。同会は現在では東海や北陸地方を中心に260名あまりを擁する患者会となり、患者を精神的、肉体的両面から支えている。ポリオは医学界でさえ認知度が低かったため、2007年から愛知県の藤田保健衛生大学病院のリハビリ部門と協力して年間100名近いポリオ患者の検診会を行い、その後継続的に経過観察を行うことで、病気への理解を得る貴重な機会の場を提供してきた。これは海外の学会でも発表されるなど、広く今後の指標となっている。横井氏は今後もポリオ撲滅に向けて生涯の活動として情熱を注ぐ。
この度は栄誉ある賞を頂き、身に余る光栄に存じます。
私は、5才の時、ポリオを発病致しましたが、右足の運動障碍は大変軽かったため、戦時中の高等女学校時代、小児科医師として10数年病院及び保健所の勤務をし、開業した後も、ポリオとはわかっていましたが、支障なく過ごしていました。
1998年の或日曜日の朝日新聞紙上にて「神戸ポリオ女性の会」の大きな報道を見て、初めてポリオに悩む人々がいる事を知りました。
その瞬間、居ても立ってもいられない衝動にかられ、ポリオの運動を立ち上げたい、と強く思いました。つてを頼りに入手した札幌医大の「ポリオ後症候群」という文献などで学び、それからの5カ月間は文字通りの東奔西走。熱中していたゴルフも棚上げにして、同年10月24日に30名程集まり、「ポリオ友の会東海」を立ち上げました。
早速、大勢が悩んでいた靴について知るため、障碍者用の靴を製造販売している業者の方に講演をお願いした事を皮切りに、名古屋大学、名古屋市立大学等の先生方の講演会を順次開催していきました。そんな中、藤田保健医科大学リハビリテーション科の才藤教授の講演を機に、検診会のお願いをした所、直ちに引き受けて頂く、という幸せにも恵まれました。
東海3県北陸3県をはじめ、静岡、長野、関東から含計250名余りの会員に対して、年3回各30名ずつ、2年毎に経過を見るとの方針で、これまで延べ1,000名近くが受診しています。
その他、会のポリシーとして勉強を掲げ、総会、例会、一泊懇談会等を行い、その都度必ず勉強会を開いています。そこでは、ポリオ及びポストポリオのリハビリテーションの実技、或は私の内科医としての立場から外来での説明以上の細かい話などをしています。そうして、本年10月に20周年の記念祝賀会を開催するに至りました。
2年前に代表を退いた後も顧問として、電話やメールでの相談に応じて活動の援助をしています。
世界ではまだまだ、ポストポリオどころかポリオの撲滅さえ出来ていません。
ポリオに対する情熱はまだ熱く、開業医として55年の今も仕事を続けさせて頂きながら、力の続く限り尽くさせて頂きたいと念願しています。