社会貢献の功績
NPO法人 Vハート
ベトナムで2002年に普通に社会生活が送れる可能性を持った、知的障がい者に向けた自立支援を行う組織として設立された。同国のビンズオン省で障がい者職業訓練センターを2006年に設立し、150名を超える障がい者が寄宿しながら手に職をつけている。また、翌年にホーチミン市には「G-CoCoRo」作業所を設立、通所者は織物や裁縫の技術を学んでいる。ベトナムでは知的障害者へのサポートは遅れており、国柄、海外のNGOの活動は制限され監視も厳しい中、運営方法を模索し活動している。
2013年11月、社会貢献支援財団から表彰を受け大変嬉しく私たちVハートのことについて、この機会にみなさんに紹介したいと思います。
Vハートは、ある一人の女性からの募金によって出来ました。生まれながらにして障害があったその女性は、勤めていた障碍者施設で事故に遭い、労災が認められて長らく入院生活を送っていました。何度かの死に目にあって、そのたびに生かされてきたと彼女は語りました。10年に及ぶ闘病生活の末、彼女の出した結論は、死ぬまでに自分の蓄えたお金を同じように障害で苦しむ人たちへの援助に使いたいと言うことでした。ベトナムの障碍者にベトナム赤十字を通じて1億円を募金したいので、紹介してほしいと言う最初の依頼があったのは2001年の秋でした。寝たきりの彼女の病室に駆けつけ、何度も筆談と文通で相談した結果、日本で団体を作り、直接支援を届けることが最善であろうと言うことになり、NPOVハートを誕生させました。2002年6月設立総会を開き、10月にNPO認可が下りました。
彼女は熱心に語りました。私の名前は伏せてください。同じ障碍者として当然のことをしただけなのですから。知的障害のある人達の奨学援助や、出来れば自立支援を行ってほしいと願いました。私たちは、どのようにそのお金が出来たか知りたかったので聞きました。すると、こともなげに、入院の費用は労災から出ています。給与は10年分使うことがなかったので溜まりましたと言うことでした。両親より先に自分は死ぬし、両親はそのお金がなくてもやっていけると言ってくれたので募金することにしましたと語りました。私たちは彼女のその決心の固さと情熱に感動し、これまで歩んでくることが出来ました。その彼女は2005年Vハートの仕事が完了する前に亡くなりました。亡くなる直前病室に見舞いましたが、「私の声は、もっときれいだったのよ」と、声を振り絞って発声されたのを鮮明に思い出します。気管切開をして呼吸器を付けていて筆談と文通しかできなかったのが、そのときは呼吸器をはずされていたのです。直後の訃報により、死ぬ前に自分の声を出したかったのだと判りました。彼女の死後、私たちは佐々木和江さんのその名前を公表しました。
このたび表彰を受けたのは、この佐々木さんであるとそのように思います。Vハートは、彼女の遺志を受け継ぎながら、ベトナムの地で、支援活動を続けてきました。ホームページでそれらの活動を紹介していたことが財団の目にとまり、表彰されました。この表彰をきっかけに、さらにVハートの活動を継続しようと、決意を新たにしているところです。このたびは本当にありがとうございました。
NPO Vハート代表 小豆島 正典