受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

ささき へいいちろう

佐々木 平一郎

(66歳:岩手県宮古市)
佐々木 平一郎

岩手県宮古市赤前で、震災時、車椅子の障害者をいち早く救助し避難場所に送り届け、その後も地区民にに案を促し救助活動に当たった。自らの自宅も津波で流出し、すべてを失ったが、避難所暮らしをしながらも民生委員としての使命感に燃え、避難所運営に携わった。仮設住宅に入居後は仮設住宅の自治会長となり200人に及ぶ入居者の心の支えとなり支援物資の分配やボランティア団体への対応、行政機関との連絡などに献身的に活動している。

推薦者:宮古市立赤前小学校 /
宮古市教育委員会 教育長 佐々木 敏夫

その日まで

岩手県宮古市赤前小学校仮設住宅
自治会長 佐々木平一郎

 

あの東日本大震災は私たちの赤前に大きな被害を及ぼしました。世帯数が400戸余りの集落でしたが半数ほどが流失し26名の犠牲者が出ました。今までにも幾度となく津波の被害に遭っていますが、想像を絶する未曾有の大津波でした。

あんなことが起きるとは考えもせず、3月3日地区民みんなで避難訓練をしていました。所定の小学校の体育館に避難し、地区ごとに安否確認や子どもたちの引き渡し訓練などをしていました。それから一週間後あの東日本大震災大津波が襲ったのです。黒い波が防波堤をあふれ、家々を押し流す光景は未だ脳裏から離れません。

仮設住宅の前で

私は地区民生委員や行政連絡員をしていましたので、車いすの方や高齢者の状況を把握しておりました。ただならぬ揺れを感じ、車に飛び乗り障がいのある方を避難所に運びました。次は車を置き、もう一人の車の方を迎えに出ました。その頃には、けたたましいサイレンが鳴り響き防災放送が津波の襲来を伝えていました。もう一人の方は避難所の近くでもあり、地区民が避難するよう説得しながら車いすごと運んでいました。地区民の避難誘導を終え、高台から見たものは幾重にも重なり牙を剥く黒い津波でした。家が軋み引き裂かれ重なり合って流され破壊され尽くしました。私の家も見る影もありませんでした。瓦礫と化した我が家を見つめ、雪の中に呆然と立ち尽くす地区民に、とにかく体育館に入るよう説得しました。私を含め目の前の出来事が誰にも信じ得ぬものだったのです。

体育館に入ると避難民で溢れていました。学校の先生方や避難民が怪我人や波に流された人の救護にあたっていました。

あの日から避難所である体育館に寝泊まりし、調理当番や清掃当番・トイレの水くみ当番など先生方と割り当てを決め生活の向上を目指しました。

その間、転居者への罹災証明発行手続き、遠隔地の避難所でくらす地区民の消息確認等、行政との連絡調整を行いました。

5月には仮設住宅が完成し、入居者の割り当てや自治会の立ち上げなど一人ひとりが連帯感・所属感を持って過ごせるよう組織作りを致しました。学校の協力もあり各種ボランティア団体が連日私たちの仮設住宅を訪問してくれています。まだまだ続くであろう仮設の暮らしに、少しでも潤いを持ち続けられるよう連携・連絡の役割を担っていきたいと考えております。

今、赤前では復興計画が作られています。赤前の高台に住宅が出来るその日まで、みんなと手を携え頑張っていこうと思っています。

このような大きな賞を賜り身に余る光栄に存じます。心からみなさまに感謝申し上げます。

  • 赤前小学校
  • 避難先の赤前小学校体育館