東日本大震災における貢献者表彰
堀内 ツグエ
大震災発生時から 5 月 17 日まで岩手県宮古市赤前で 400 人を越える避難民の食事の賄をした。震災当日、自宅にあった米や食材一切を持ち込み、飲料水も調達して避難所であっ た赤前小学校の給食調理場を利用し、真っ暗闇の中 600 人分のおにぎりをにぎり救援活動 に当たった。その後不眠不休で 3 日間炊き出しを続けた。その後、自衛隊から食材の提供 を受け、高齢者などに配慮した食事を提供した。避難民の中から堀内さんを慕い、率先し て調理を手伝う女性も出て、赤前避難所の厨房で働く女性たちを「チームツグエ」と呼ぶようにまでなった。
宮古市教育委員会 教育長 佐々木 敏夫
地区民への恩返し
このような大きな賞を頂き身に余る思いでいっぱいです。赤前に活きる私たちは今までも津波を経験しており、そのたび誰もが自分に出来ることを一つひとつやってきました。私も中学生の頃チリ地震津波を体験し、地域のみなさまにお世話になったことを覚えています。
あの日は今までにない地震に「津波」を直感しました。水門を閉める作業から戻った息子が「とんでもない津波だ」と言い残し、消防団の活動に戻りました。私はとっさに家にあった食材を抱え避難所になっている小学校に駆けつけました。道々、波から引き上げられた人が運ばれるのが見えました。学校では先生方がお湯を沸かし湯たんぽを作っていました。
私は以前小学校の調理場で働いたこともあり、学校には使われなくなった給食調理施設が在ることを知っていました。先生に、今も使えるのか伺いました。先生方が調理室を調べ機材は使えることが分かりました。ただ、水道が止まり水が使えない状態でした。
近くに自家水道が在ることを話すと、男の先生方が早速水を汲んできてくれました。女の先生方や用務員さん、駆けつけた地域の人たちとご飯を炊きおにぎりを作ることにしました。余震が続き何度もガスが止まりましたが、その度に、復旧させながら暗い調理場で作業を続けました。炊いては握り釜を洗っては炊くという作業を朝まで続けました。
その間、男の先生方や地域の方々も夜通し水を汲み続けてくださいました。なんとか小学校の体育館に避難している400人を超える皆さんに、小さなおにぎりでしたが食べて頂くことが出来ました。
その後、消防団の方が神社や公民館にも避難している人が居ることを知らせに来ました。小さなおにぎりを手渡すと、雪の中に駆けだしていくのが分かりました。避難所や、消防団の方々など600人分ほどのおにぎりを握りました。作り終えたのは朝の4時近かったと思います。1・2時間休み6時頃から朝食の準備を始めました。だんだん明るくなってくると、一緒に働いているのが近所の人だったり先生だったりすることが分かってきました。誰もが一生懸命でした。私も赤前の一人として出来ることをやるだけでした。避難所のみんなに、食べるものだけでも何とかしたいという思いで調理場に立ち続けました。それに、調理場を支えるために男の先生方や小学生・中学生・地域のみんなが雪の降りしきる中水を汲み続けていました。
4日目の朝に初めておにぎりが届きました。冷たくなっていましたので釜で暖めて出すとそれだけでみんなが喜んでくれました。その後自衛隊の炊き出しが始まりましたが、赤前地区は高齢者が多くなかなか食べてもらえませんでした。調理場にいた仲間や先生方も心配し、食材での配給を受けみんなで普段の食事を作ってみることになりました。大したものは作れませんでしたが、みんなも喜び調理場を続けることになりました。避難所の中からも調理場で働く人が出てきて、みんなでやることになりました。避難所が解散する5月18日の朝食まで続けることが出来たのは、みんなのおかげだと思っています。みんなに「チームツグエありがとう」と感謝され、食べて頂いたことを私の方が感謝しております。
今、学校ではこの調理場を使って炊き出し訓練を行っています。微力ですが学校からのお誘いを受け一緒に参加させて頂きました。これからも地域のために自分に出来ることを続けていこうと思っています。