社会貢献の功績
浜里 トミ
浜里さんは、大阪に出て医療関係の勉強を終え沖縄に戻った。小さい頃から「看、病、医」の文字が、なぜか頭から離れなかった。当時、沖縄は終戦直後の混乱期であった。浜里さんは、昭和21年から2年間、北大東村(きただいとうそん・島)の診療所で看護師、助産師として看護業務のスタートを切った。当時の同村は沖縄の本島から400キロ以上も離れ、海路で21時間を要した絶海の孤島であった。自宅分娩などにも立合い、島民の保健医療の保持に努めた。
そして那覇市の産婦人科勤務の後、伊是名村(いぜなそん)で昭和29年から14年間、駐在保健師として赴任した。同村は本島から100キロほど離れ、海路で2時間を要する。同村の生活環境は劣悪で、住民の公衆衛生上の知識も浅く、結核や感染症などが蔓延していた。医師や助産師が不在の時の救急患者やお産の対応は、駐在保健師に委ねられ、使命感により住民の生命を守った。
その後那覇市に移り、同市の各所で駐在保健師として、人口約1万人を受け持ち、結核や感染症などの防止に努めた。
浜里さんは、保健師、看護師、助産師の資格を持ち、駐在保健師として相当の働きをしたばかりでなく、「人は人に必要とされることを必要とする」という気持ちで、住民の健康管理や医療そして福祉の向上に尽された。
定年退職後も沖縄の三悪(性病、売春および麻薬犯罪など)追放協会から委嘱され、当時同県内の麻薬中毒者の観察対象者83名のうち、34名の所在不明者の居住先を探し当て、家庭訪問を重ね更生に導くとともに警察、教育委員会、学校と連携し子供達を薬物から守る運動を行なっている。
また発達の遅れた児や障害を持つ子供達のために、保育士の資格を取得し、認可外保育園を開設、保育活動にも尽力している。
現在、浜里さんは那覇市の社会福祉協議会に協力し、高齢者の健康管理サービスのボランティア活動を行なうとともに、所属する沖縄県の看護協会で後進の育成に当っている。「人のために一生懸命やることが健康の秘訣であり、それを実行することで多くの人と知り合うことができる」と活動を続けている。
受賞の言葉
受賞の知らせをいただいたとき、夢ではないかと思いました。嬉しさで涙があふれてきました。今まで出会った多くの方々、とりわけ同僚の皆さんの支えがあったからこそ、受賞できたのだと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。私はいつも人に必要とされることをモットーに生きてきました。たとえ、微力であっても人に喜んでもらえることが自分の喜びにつながると思っております。今度の受賞は今年84歳の私に、今後の人生に勇気を与えてくれました。心から感謝とお礼を申し上げます。