第二部門/多年にわたる功労
渋谷 吉尾
渋谷さんは戦後間もなく樺太から引き揚げ、生まれ故郷である黒松内町の赤井川に入植した。70歳を境に畑仕事を控えるようになったが、そんなある日、近所の軒先で古いカンジキを見かけた。その家のひとに聞いてみると、作られてから百年以上経ち、誰が作ったかもわからない、とのことだった。直しながら使っているというそのカンジキを付けてみると、あんばいがよかった。そこで工夫を加えて新しく作り直してあげたところ、その評判がよく、作ってほしいという声が近所から上がった。「引き揚げて以来、世話になったこの町のために何か恩返しをしたい」と思っていた渋谷さんは、カンジキを作って町の人たちに配ることを始めた。
黒松内町は人口約3,600人で、四方を山で囲まれ、冬は積雪1メートル以上になる豪雪地帯にある。国の天然記念物であるブナ林があり、かつては、冬山に入り枝払い等をしてマキを山から出す「木出し」のときには、カンジキは必需品であり、いわば冬の生活の一部であった。昔と比較すれば除雪が楽になった現在でも、カンジキは山がちの雪国の生活に無くてはならない履物である。
カンジキの材料には桑の木を用いる。まっすぐな幹を切り、割って角材を作る。蒸気で蒸してU字型に曲げ、2つを組み合わせて楕円形にし、耐久性のある針金で止める。歩きやすいように爪先になる部分をパイプで曲げる。これらの約10行程を経て作られる「渋谷式カンジキ」は、この20年間に少しずつ改良を加えられたユニークなものである。履くひとの足の大きさを考慮して4つのサイズがあるカンジキは、全て渋谷さん一人の手によるもので、週に3~4足しかできないが、黒松内町の全世帯1,500軒の約三分の二に無償で配り続けられている。
今年で90歳になるが、「黒松内のカンジキ爺さん」として、全道各地で年に何回かの講演を行い、残りの日はカンジキ作りに精を出す毎日である。この20年間に作ってきたカンジキは、およそ4,000足で、今ではこのカンジキを求めて全国からの手紙が舞い込んできている。またカンジキだけでなく、わらじ、米びつなどのかつての生活用具を復元制作も行っている。
町では渋谷さんの気持ちに応え、若い人たちがカンジキを使ってのソフトボール大会を始めた。「渋谷吉尾杯」と冠され、今では全国からチームが集まり、町の冬の大イベントとなっている。