第二部門/多年にわたる功労
中澤 祥子
那覇から392km離れた南大東島(村)へは、当時沖縄本島から北大東島経由空路で1時間40分、船で21時間を要し、周囲が断崖の島へは小型船で接近し、人も荷物もクレーンで上陸する。村は人口1500人余の集落で、保健医療要員の確保が困難な絶海の孤島である。また、北大東島(村)へはクリ船で1時間、海水をかぶりながら渡った。
中澤さんは昭和42年の南大東村赴任以来、昭和63年までのほぼ20年間を南大東村駐在保健師として、厳しい環境下で昼夜を問わず地域住民の救急看護や母子保健、老人保健事業、健康教育、組織活動育成などに取り組み、島民の健康と福祉の向上に貢献した。また昭和47年の本土復帰までの5年間は北大東村保健師も兼務した。本土復帰後、南大東村は派遣医制により県立診療所が医療を担ったが、出張等による医師不在時の救患・急なお産の対応は駐在保健師の中澤さんに委ねられた。中澤さんは本島医師の指示を受けつつ、ヘリコプターなどでの急患搬送までの処置、分娩時の母子の安全確保、患者看護などに携り、使命感に燃えて住民の生命を守った。
昭和63年に移動した南部保健所では、障害児療育指導など母子保健事業に注力した。平成5年から4年間の北中城村駐在時は、中学生を対象に「思春期における保健・福祉体験学習」を企画、命の大切さや性教育及び乳児とのふれあいを通じた親としての準備教育を行った。平成9年は、保健師の駐在制廃止により、離島など小規模町村においても保健師設置・定着が大きな課題となったが、中澤さんは多くの離島を抱える中央保健所で、豊富な離島活動の経験を生かして離島村の新任保健師の現地教育や保健事業推進に尽力した。
平成13年3月の定年退職後は、多年の経験と保健教育技術を生かし、警察・教育委員会・学校と連携して子ども達を薬物乱用から守る活動に携わり、離島僻地校含め109校、また一般住民対象の街頭キャンペーン地域は69ヵ所で活動を続けられている。
受賞の言葉
この度は名誉ある賞を頂き感激いたしております。
受賞にあたり、これまでの公衆衛生活動事業におきまして、多くの方々の支えがございました。医師不在時には四六時中、いつでも温く、ご指導、ご助言下さった親病院の(県立那覇病院)先生方の心づかいは、厳しかった離島での救急看護を大きく支えて下さいました。そのような中で培った力は、その後の私の活動のエネルギーとなり大きな経験となりました。これからも公衆衛生事業や子どもたちの健全育成など、子供たちの身近な所で関われる活動を続けていきたいと思います。