社会福祉法人 札幌報恩会
重度の知的障がい者を対象とした施設で、創設者は“不遇なこのこどもたちをもらい子と思って、退園後も目を離さず手を携え、親として面倒をみていく”ことをモットーに、1918年に創設され昨年創立100周年を迎えた。現在は500名近い利用者に対し、24時間365日対応する施設を敷地内に3ヵ所有し、他にも5,000㎡の広大な敷地に12の施設があり、グループホームも市内に17ヵ所、80人が暮らす。利用者は北海道内、主に札幌から280名程が通所し、220名程が居住し、彼らを350名のスタッフが支えている。
地元町内会との交流も盛んで、認可保育園も施設内に有する。
北海道有数の福祉施設として、利用者のニーズに対応しながら事業を展開し、長きにわたり活動を続けている。
「ほうおん」の由来
創立者小池九一さんは、長野県松本市の出身、生家の倒産により、満10歳で(紙問屋へ)10ヵ年の丁稚奉公に出され、先方の願いで3年間のお礼奉公も済ませ、明治33年5月、23歳で単身、新天地、北海道を目指されました。
確たる当てもなく、函館から稚内まで、各地を巡り、道中、紹介をいただいた空知支庁長宅を訪れ、それが、奇遇な出会いとなり、書生として、わらじを解き、雇員、日本赤十字社の業務、やがて、本庁に呼ばれることになりました。その間、山田支庁長ご夫妻の媒酌で、家事見習いの林スミさんと結婚、家庭を持つことができました。
明治41年、道内にも児童教護施設が設置されるにおよび、小池九一さんが主事、スミさんが助手を任命され、社会福祉事業に本格的に取り組むこととなりました。
当時は、名称が「感化院」、院長が警察部長兼務と言った状況で、せっかく良育しても、退院後も警察の監察下におかれ、九一・スミさんが満足できるものではありませんでした。小池九一さんは、大正3年、院長になられ、名称も「札幌学院」へと改称されましたが、自らの、家庭生活を基盤とした訓育、そっと、あずかり、そっと、お返しするという夢の実現には、程遠いものでした。
大正4年8月、藻岩山のふもとに土地を購入し、「報恩園」と名付け、敷地の中央には「報恩」碑を建立しました。そこには、渡道15年を経て、小池家を復興できたのも、「天恩」「地恩」「君恩」「国恩」「親恩」「師恩」「友恩」の賜物として、永久に報恩感謝の道を歩む覚悟が刻まれております。
この地に、大正7年11月30日に私立児童教護施設「札幌報恩学園」が誕生しました。
「感謝の言葉」
社会貢献者表彰を賜り、財団の皆様、審査員の皆様、推薦者の筒井様に、心より厚く御礼を申し上げます。素晴らしい2日間でした。
理事長 山下 太郎