表彰式典

第46回 社会貢献者表彰式典(於:帝国ホテル東京)

受賞者代表挨拶

受賞者代表・特定非営利活動法人 愛未来 理事長 竹下 敦子 さん

受賞者代表・特定非営利活動法人 愛未来 理事長 竹下 敦子さん

本日は、私たちのささやかな活動に光をあてていただき、感謝申し上げます。

特定非営利活動法人愛未来は、佐賀県内の女性を中心に、スリランカとパラオとの友好交流や支援活動に取り組んでいる国際協力団体です。

私が国際協力活動に取り組むようになりましたのは、今から46年前の昭和45年、天皇、皇后両陛下のご成婚を記念して始められた国の青年海外派遣事業で、アジア8か国を2か月間、親善訪問した時のことです。インドのあまりの貧しさに、言葉を失うほどのショックを受けました。  「私にできることは何だろう。」というその時の想いが活動の原点になっております。

日本とスリランカの友情の絆として忘れてはならないことがあります。のちにスリランカ初代大統領になったジャヤワルダナ氏が、サンフランシスコ講和会議において日本がアメリカ、イギリス、ソ連、中国により4分割されるのを救ってくれたことです。当時の吉田首相は「我が国日本は、後世までこの大恩を忘れてはならない。」と言っておられます。

そんなスリランカの田舎から来日した青年との出会いがありました。
「貧しい暮らしをしている子ども達のために手伝ってください。」という彼の呼びかけに共感した仲間と組織を起ち上げました。最初は子ども達への奨学金や教材の支援をしていましたが、いつまでたっても相手は手を出すだけでした。

愛未来がめざすのは「自立」です。今では、「子どもたちの心豊かな未来のために、親の働く場づくり」の支援に力を入れています。女性グループを作り、農産物直売所の活動を支援したり、水牛の生産から乳製品の加工、販売まで6次産業による「ミルクの里づくり」など、農業・農村の振興を支援しています。

また、親日的な国パラオでは、戦前31年間、日本の委任統治領だったこともあり、「ダイジョーブ」「トモダチ」「オキャクサン」「シューカン」など、日本語がパラオ語になった言葉が1,500語位あるといわれており、年配の方は流ちょうな日本語を話されます。ペリリュー島やアンガウル島での第二次世界大戦の激戦など不幸な出来事はありましたが、教育や殖産などを通して、「日本人は生きる術を教えてくれた」と言ってくれます。

昭和61年、パラオで「アジア太平洋地域開発青年フォーラム」が開催され、そこで、議長と副議長という関係で、トミー・レメンゲサウ氏との出会いがありました。大統領になられてからも「友情は変わらない」と言ってくださり、30年間の友達関係が続いております。

そんな、パラオの校長先生から「地球温暖化の影響で島が沈みつつあります。パラオは食料の90%を輸入に頼っており、子どもたちが将来も安心して暮らせるように協力してください。」という手紙がきました。すぐ、農業専門の技術員とパラオへ行き、日本統治時代の学校農園を復活させました。

日本時代、農業地帯と言われていた現在のエサール州は、おいしい果物ができるのに、技術がないため、今では農地も荒れ果ててしまっています。農業技術の支援を必要としています。パラオは海の観光国ですが、歴史や文化を知り、人々とのふれあいの場として、「エコツーリズムによる生活文化体験村づくり」の支援をしています。これも、農業・農村開発と共に、女性の経済的な自立に向けての支援策としての取り組みです。 

地元の佐賀や福岡では、スリランカカフェやスリランカカリー料理教室を開催する中で、社会貢献活動としての国際協力について、理解と協力を広める活動を続けています。

日本とパラオの架け橋である愛未来として、日本語教師の仲間たちとも連携を図りながら、日本語学校を作りたいという夢も持っています。

愛未来は、草の根の活動を通して、これからもスリランカやパラオとの絆をますます深めていき、共に生きる心優しい社会づくりに貢献していきたいと思います。

本日は、受賞という栄誉をいただき、ほんとうにありがとうございました。

 

特定非営利活動法人 愛未来
理事長 竹下 敦子