受賞者紹介

平成24年度社会貢献者表彰「東日本大震災に貢献者表彰」受賞者紹介

一般社団法人 名取市医師会
3月11日大震災の当日より、名取市保健センター救護所、名取市休日夜間急患センターなどで会員が自発的に診療を継続した。13日からは宮城県立がんセンター、宮城社会保険病院と連携し、避難所の巡回を2つの病院のチームに依頼し、後に引き継いだ。また検死の要請にも会員が対応した。市中の病院が一般外来を閉鎖するなか、平時は土日祝日のみの休日夜間急患センターで平日の診察も行うなど、災害時の医療に貢献した。
一般社団法人 名取市医師会 会長 丹野 尚昭
地方独立行政法人 宮城県立病院機構 宮城県立がんセンター
3月11日震災当日は、近隣の市民約1,000名が避難して来たため、その対応にあたった。二日後から名取市医師会、宮城社会保険病院と連携を組み、宮城社会保険病院のチームと分担して市内の避難所(ピーク時には40ヵ所以上、1万人の市民がいた)を3月25日まで毎日巡回診療した。また名取市休日急患センターにて3月27日まで名取市医師会の会員と診療を行い1058名の患者を診療した。この間、病院では24時間オープン体制で救急患者の診療を行うなど、震災時の市民の医療に多大な貢献をした。
一般社団法人 名取市医師会 会長 丹野 尚昭
社団法人 全国社会保険協会連合会 宮城社会保険病院
3月11日の震災当日は近隣の市民370名が避難してきたため対応に当たり、翌日より仙台市太白区、名取市の避難所を巡回診療を開始した。13日からは名取医師会、宮城県立がんセンターと連携を組み、3月25日まで名取市内の避難所(ピーク時には40ヵ所以上、1万人がいた)を毎日巡回診療した。この間病院では24時間体制をとり、医師看護師職員総出で患者の診療を行った。
一般社団法人 名取市医師会 会長 丹野 尚昭
独立行政法人 労働者健康福祉機構 関西ろうさい病院 看護部
兵庫県看護協会から関西広域連合宮城チームの一員として宮城県石巻市および気仙沼市の避難所に、4月8日から6月12日までに計9人(延べ日数100日)災害支援ナースとして派遣され、避難所の被災者の健康状態に関する情報、生活空間・衛生環境に関する情報、不足している物資、必要な人的資源等の情報を収集し、看護協会対策本部に提供したことで、これらの情報に基づいた物資の提供や災害支援ナースが活動しやすい環境を整えることに貢献し、調整力を発揮して避難所の管理体制の改善のための提言を行ない、避難所の効果的な運営に貢献した。被災地や被災者のニーズに合わせて派遣する看護師の専門性を変化させ、適切な人材を派遣し、成果をあげた。
社団法人 兵庫県看護協会
医療法人財団 姫路聖マリア会 姫路聖マリア病院 看護部
東日本大震災発生後4日目に兵庫県看護協会災害対策本部からの要請を受け、宮城県石巻市に3月23日から6月19日まで計7人(延べ人数30人、約170日)の災害支援ナースを派遣し、兵庫県医師会や薬剤師会とともに救護所の立ち上げ、救護活動を行った。避難所の環境が改善され、感染症の発生も最小限に抑えることが出来るなど活躍した。また気仙沼市では4月2日から7月16日まで計13人(延べ約130人)を派遣し、3ヵ所の避難所で支援体制づくり、衛生管理、健康管理、心のケア、在宅避難者の訪問活動などに取り組んだ。
社団法人 兵庫県看護協会
岸田 智子
兵庫県看護協会からの災害支援ナース派遣の要請に早い時期から応じ、5月6日から宮城県気仙沼市に派遣回数3回、延べ30日にわたり支援活動を行った。避難所生活が長引いてきたことによる被災者の身体や心の健康問題に対して、市の職員やボランティアらと協働し、避難者ひとり一人に向き合い、長年の経験を活かして対応した。避難所の衛生環境の整備や感染症予防の指導、在宅避難者の訪問活動に取り組み、さらに他の災害支援者と共有するための「チーム引き継ぎ書」を考案・作成し後に続く支援者が有効利用出来るようにした。この30日間の活動に加え、自己の休暇も利用して避難所を訪問した。
社団法人 兵庫県看護協会
本郷 忠敬
岩沼市医師会の救急医療対策委員会委員長として、地域住民の命を守るため、設備やインフラ等が不備の中、いち早く自らの医院にて診療を再開した。また救護所でも次々に搬送される患者への治療や入院患者の受け入れ等を行った。通常診療が開始された後も、避難所に避難している人々のために活動時間を延長して対応し、深夜には専用の携帯電話をもって看護師の抱える不安などにも対応する等、多大な貢献をした。
一般社団法人 岩沼市医師会 会長 森 学武
井坂 晶
福島県双葉郡で医師会長を務め、震災当初から仮設診療所の立ち上げに尽力。救急隊との連携を強化し、地域住民のために全力で取り組んでいる。井坂医師がいた避難所では2,500人の避難者の中一人の死者を出すこともなかった。一時帰宅の際は、ビニール袋1つという制限下で、そのほとんどは医療品が占めた。さらには原発の警戒区域内にある公立の准看護学校が休校になる中、学生を他の学校に転入させる等、准看護師の養成にも尽力された。
社団法人 双葉郡医師会
木住野 耕一
震災発生直後より、院長を務める二本松市のクリニックが被災を受けながらも、双葉郡浪江町から着の身着のまま避難してきた大量の避難者を、病名や服用薬も判然としないなか、医薬品の欠乏、燃料不足等の困難に遭いながらも診察に当たった。現在も避難者の方々の診察に熱心にあたっている。
社団法人 安達医師会 本田 岳
菅野 和治
震災発生直後から、双葉郡浪江町より着の身着のまま避難して来た大量の避難者が勤務する診療所に来院した。停電、断水、燃料不足、医薬品不足の緊迫した状況の中、あらゆる方策をたてて避難者の医療、救護にあたった。現在も継続診療中。
社団法人 安達医師会 本田 岳
石井 正
2007年に石巻赤十字病院の医療社会事業部長に任命されてから、病院災害対策マニュアルの全面改定に着手し、翌年に担当者実名入りのマニュアルを完成させ、2011年2月に宮城県災害医療コーディネーターに就任した。東日本大震災発生時、同病院は、マニュアルに基づき職員一人一人が無駄のない動きで来院した被災者に対応出来た。また、被災で機能不全に陥った市役所に代わり、自ら避難所環境の調査をしたり、全国から駆け付けた医療チームの支援を災害医療コーディネーターとして取り仕切り、石巻圏合同救護チームを立ち上げ、延べ3,633チームを陣頭指揮を執った。(救護班は延べ53,696人の患者に対応した。)
社団法人 宮城県医師会 会長 嘉数 研二
佐々木 文秀
海岸から100m程の気仙沼市魚町で経営していた診療所は震災により全壊、隣接する自宅も流失した。102歳の父を背負い、山越えをして気仙沼市役所に避難した。同市役所には約480名ほど避難者がおり、医師としての使命感から、体調不良を訴える被災者の応急処置に当たった。4月上旬まで同所に常駐する中、8日間で200体以上の検死にも立ち会った。また、小児科医であることから、親子の不安解消のため、早急な医療体制が必要と震災から40日後に仮設診療所を開設し医療の確保に当たった。
社団法人 気仙沼医師会 会長 大友 仁
小松 孝男
平成21年に気仙沼市中みなと町で開業したばかりのクリニックが震災で全壊、流出してしまったが、翌日には同市医師会災害対策本部を訪れて医療救護活動を申し出て、自宅を拠点とし、地区内避難所17ヵ所(避難者約2,500人)を担当し、連日徒歩で巡回して無償で診察に当たった。処方薬は全て失ったため、時には仙台市まで日帰りで出向き薬剤の調達を行うなど、被災者に寄り添った活動をした。
社団法人 気仙沼医師会 会長 大友 仁
笹原 政美
宮城県南三陸町で診療所を開業していたが、震災により自宅とも全壊、流失した。志津川小学校に避難し(避難者約620人)、看護師や保健師らと共に日夜救護活動に当たった。また医療器具や医薬品等の調達にも奔走し、早期に医療体制の確立を図った。また、入谷地区の避難所(4ヵ所約1,000人)に巡回診療も行い、災害時医療に貢献した。
社団法人 気仙沼医師会 会長 大友 仁
葛 但寛
気仙沼市仲町で診療所を経営していたが、震災で自宅と共に全壊、流失し、避難先のビルでは火災が発生して一時孤立状態となった。その後、気仙沼高校(避難者約300名)に避難し、自身も被災者であるが4月中旬まで同所に常駐し被災者や地域住民の治療、健康管理に当たり災害時医療の確保に尽力した。また、市内の特養老人ホームの内、甚大な被害を受けた1件の入所者を安全な施設に搬送診療したり、在宅利用者の受入などにも尽くした。
社団法人 気仙沼医師会 会長 大友 仁
村岡 正朗
気仙沼市仲町でクリニックを開業していたが、震災により自宅とともに全壊となり、気仙沼中学校(避難者約1,200人)に避難した。即時同校の保健室を借り、保健室に寝泊まりしながら24時間態勢で被災者の医療救護活動にあたった。同校に隣接した別の避難所の診療にも当たり、震災10日目からは往診も再開した。また震災前から在宅医療に取り組んでいことから、避難所以外で生活する高齢者などを支援するため、各地からの支援医師、看護師らとともに「気仙沼巡回療養支援隊」を結成し、手腕を発揮した。
社団法人 気仙沼医師会 会長 大友 仁
福島県警察医会
検視や解剖を専門に行う監察医がいる東京23区や横浜市とは異なり、福島県内では警察から嘱託を受けた警察医が検視に立ち合う。県内の警察医は約40人で、そのうち半数が60歳以上と高齢化が進み、後進の確保が問題となってきている。そんな中、震災における福島県内の犠牲者(1,605体12月22日時点)の検案業務を震災発生当日から開始し、昼夜を問わず実施し、12月22日までに630体の遺体検案に携わった。
社団法人 福島県医師会
宮城エキスプレス株式会社
石巻港で水揚げされた鮮魚を都市部にトラックで運送する同社は、津波により冷蔵設備などと事務所を総て失った。社長は10人程いた従業員とともにトラックの駐車場と整備場を兼ねた県道沿いの高台に避難すると、そこに200名程の避難者が集まってきた。高台から流されて屋根にいる人、流される車にいる人、10名以上を可能な範囲で従業員全体で救出、流れ着いた食料品を分け合い、保冷車に積んでいた海産物を提供するなどして食いつなぎ、ドラム缶製のストーブで暖をとり避難所に入るまでの3日間、集まった200人程の人を世話した。公的な援助物資は1週間後に1度届いただけだった。その後も50名程の人が1ヶ月そこにとどまった。
公益財団法人 社会貢献支援財団
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