受賞者

第48回

社会貢献の功績

はかまき えいこ

袴着 英子

(福岡県)

福岡県北九州市で1957年に洋装店を開き、1987年に北京市科学技術協会の招聘で日中技術者交流センターの訪中団に加わり、北京市服飾研究所と初の服飾セミナーを開いた。その後、中国側から縫製の基礎を習得したいと要望を受け、北京、天津、上海、広州、大連などの服飾研究所と交流し、製図から立体裁断などの技術指導をした。この活動が続き、教え子が指導者やデザイナーに育った。袴着さんの指導はいつも無償で、渡航費なども自己負担で行った。1999年に袴着さんら洋装店の経営者が中心となって「北九州市国際文化交流協会」を設立し、袴着さんは初代会長に就任した。その後、大連大学の学生を自宅に開放して受け入れ、日本の文化、生活体験、日本の大学生たちとの交流会などを開き、国際交流に情熱を注いでいる。

推薦者:矢野 敏行
袴着 英子

「30年の歩みが、喜びになりました」

最初に北京で開いた服飾技術セミナー
最初に北京で開いた服飾技術セミナー

洋裁の技術を中国の人たちに伝えはじめてから30年になります。

帝国ホテルでの華やかな表彰式と祝賀会に、長年にわたり行動を共にしてくれた後輩女性、推薦者ご夫妻と出席しました。またパリ在住で服飾デザイナー長男とデンマーク人の妻に長女、それに長女のお友達のオランダ人少女も加わって賑やかでした。

振り返れば、高校の家庭科に入学して2年生の頃、学びたい洋裁の授業が少なかったので思いきって洋裁学校に転校しました。今になって思えば、この決断が人生の大きな転機でした。

卒業して20歳の時に地元で洋裁店を開業しました。その頃は、デパートや洋品店は洋服のサイズや柄など品揃えが十分ではなく、洋裁店で仕立てる人が多い時代で、私の店も繁盛していました。2年後、サラリーマンの夫と結婚してまもなく長男が誕生しました。

その長男が、私と同じファッションの道に進み、外国でデザイナーになるとは夢にも思わないことでした。

「洋裁の技術を国際交流に活かせないだろうか」そんな思いを抱いていた1987年に、友人4人と日中技術者交流センターの訪中団に加わって北京を訪れ、初の服飾技術セミナーを開きました。続いて天津、上海、広州などでも洋裁の技術指導をしました。

中でも、私が住んでいる北九州市の友好都市、大連との交流は長く、毎年開くセミナーを最前列で受講していた生徒さんが、立派な指導者やデザイナーに育ってくれたのは大きな喜びでした。

私たちが習得した洋裁の技術は、元々はヨーロッパやアメリカから学んだものなので、これを中国など他の国の人たちに伝えるのは、一つの使命ではないかと考えています。

私はすでに80歳を超えましたが、これからも洋裁の技術指導を中心に、留学生のお世話や若い人の国際交流などにも力を注いでまいりたいと考えています。

この度の表彰式と祝賀会に参加できたことは、生涯の喜びです。

  • 大連毛皮協会の発会式
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  • 大連服飾祭のファッションコンクール
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  • 大連市が外国人に贈る最高賞星海友誼賞を受賞
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  • 大連大学と北九州の学生が交流
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  • 大連大学の学生6人が袴着さん宅でホームステイ
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