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受賞者

第48回

社会貢献の功績

えぬぴーおーほうじん にほんべらるーしゆうこうきょうかい

NPO法人 日本ベラルーシ友好協会

(秋田県)

1992年からチェルノブイリ原発事故で被ばくしたベラルーシのための医療支援を行っている。事務局長の佐々木正光さんがベラルーシの医師と出会い、日本の医療技術でベラルーシの被ばく者を助けてほしいとの依頼を受け、秋田県を中心とした医師や企業関係者を集め、前身となる秋田ベラルーシ友好協会を設立した。毎年同国の若手医師を秋田大学医学部に招聘し、半年間医療技術を学んでもらうプロジェクトを行い、これまで73人に、彼らの渡航費、滞在中の生活費を支援している。卒業した人の中には世界の医学学会の中で活躍する人も輩出するなど、特に血液学で同国の医師にとって秋田医大への研修は登竜門のようになっている。医師への研修以外には、同国の血友病協議会の要請に基づいて、血液分離機、血液凝固能力検査装置や使い捨て医療用手袋など延べ3万点もの医療器具を送っている。

NPO法人 日本ベラルーシ友好協会 理事長 三浦 亮
理事長 三浦 亮
秋田駅での募金活動風景
秋田駅での募金活動風景

1986年4月26日、ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発。

鎮火まで10日間も火災が続きました。爆発による直接の死傷者に加え、風向きと降雨で放射能高度汚染地帯は広く拡がり、中・長期に亘る甲状腺・血液疾患の増加が報告されています。

当時、厳しい東西冷戦が続いていましたが、この原発事故も一つの誘因となって共産主義体制の矛盾が一気に噴き出し、3年後の1989年11月にはベルリンの壁が崩壊、冷戦の終結、翌年には東西ドイツの統一、ソビエト連邦の解体、と歴史の歯車は急速に回転しました。

当時から、佐々木正光氏(現日本ベラルーシ友好会事務局長)が商業人として現地の実情を眼にし、ベラルーシへの直接支援を企画して精力的に活動し、秋田県の医療界、政財界、そして一般市民への呼びかけで、秋田ベラルーシ友好協会を発足させました。

ベラルーから毎年招聘している研修医(研修中、回診風景)
ベラルーから毎年招聘している研修医(研修中、回診風景)

医療機器、資金援助等に加えベラルーシより若手医師を招いて、直接の医療指導を計画しました。当時、国際骨髄移植施設として東北で一校のみが認められていた秋田大学医学部へも協力の打診がありました。血液疾患診療の責任者であった私、三浦亮(当時秋田大学内科教授、後に学長、現日本ベラルーシ友好協会理事長)は、積極的に研修医の引き受けを決断しました。1992年6月ベラルーシのゴメル市民病院で血液疾患の診療にあたっていた26歳のユリ・シェーフェルが来秋し、1年に亘る秋田大学病院での研究を指導いたしました。

以降25年、専門分野、研修期間はさまざまですが、現在まで80名以上の医師が来秋しています。研修病院も大学病院のみならず、いくつかの市内の病院さらには、隣県の岩手医科大学等も参加し、血液学、内分泌学、外科、小児科、整形外科、臨床検査科など、多くの領域で研修を受けました。この中から、後にミンスク医科大学(現ベラルーシ国立医科大学)学長、研究所長など、優れた地位まで昇進、活躍している医師も多数おります。秋田からベラルーシへ指導に訪れた医師も多く、現理事長である私、三浦も1993年と友好25周年の2016年にベラルーシを訪れ、講演を行なっています。秋田県内の支援者としては、政界、財界、民間人、さらには高校生までも参加しており、本NPOの活躍はしっかりと秋田に根をおろしています。

今回の社会貢献支援財団からの表彰は、我々の努力と実績が広く認められたものであり、これを契機に今後とも両国の友好推進に努力していきたいと決意しております。

NPO法人日本ベラルーシ友好協会理事長
三浦 亮

  • 当協会主催の講演会(東日本大震災講演会)
    当協会主催の講演会(東日本大震災講演会)
  • ベラルーシへ福島の子供たちを招待した保養派遣
    ベラルーシへ福島の子供たちを招待した保養派遣
  • ベラルーシ研修医の秋田大学への表敬訪問
    ベラルーシ研修医の秋田大学への表敬訪問