社会貢献の功績
内田 弘慈
内戦終結前の平成3年にカンボジアへアンコール遺跡に関する出版の取材のために現地を訪れた東大寺僧侶の内田さんは、難民の子どもが汚れた川の泥水を飲んでいる姿を目の当たりにし、不衛生な悪環境下で悪性の下痢や風土病で苦しむカンボジアの子どもたちの命を守るためには、薬よりまずは清い水と強く感じ、単独でアンコールに近いシェムリアップで井戸を掘り始めた。
井戸を掘り始めた頃は、日本に帰る時には、必ず同国に戻って井戸を掘って欲しいと住民に懇願された。しかし一方では、井戸堀りの道具や材料、バイクなどを現地で雇っていた者に預けて帰国し、戻ってみると人も道具も無くなっていたり、強盗に足を撃たれ、もはやこれまでと覚悟したこともあった。
井戸掘り活動を通して、現地の村長や僧侶から長い戦乱で孤児となった子どもたちの世話を頼まれ、3人の幼女を引き受けたのがきっかけとなり、現在では定員いっぱいの孤児たちとスタッフ総勢65名の孤児院を建設し運営している。
内田さんは、半年は日本全土を托鉢し、同国に戻っては井戸を掘り、孤児院建設に奮闘するという活動を地道に継続してきた。一人一人の10円、100円の寄付の積み重ねと支援者により同国のシェムリアップ郊外に5年を費やし、鉄筋3階建ての孤児院「だるま愛育園」として建設された。
そんな「お父さん」への感謝の気持ちから孤児院の孤児たちによる同国の伝統舞踊団が結成され、日本を縦断する活動も始められた。日本の子どもに同国をはじめとした国際社会を知るきっかけを与え、日本の子どもたちが自発的に空き缶を集めるなどをして井戸を贈呈するなど、子どもたちのおもいを実現する活動にもなっている。
昨年、病気の発症も知らされた内田さんは、子どもたちが安心して暮らしていけるように「幸せの郷づくり」こども農園‘15プロジェクトと題し、18年より15カ年計画の無農薬栽培による食の自給自足体制作りも始めた。
また一方で内田さんは、同国での口唇口蓋裂症患者などの医療支援に加え、名古屋のNPO法人と共にエイズ予防の普及やマラリア、デング熱、悪性下痢に苦しむ貧しい無医村の学校や集落での健康診断活動などの現地協力もしている。
17年前から内田さんが始めた井戸堀りも最初は5基、そして50基が目標であった。1基に約10万円を要する。それが20年10月で各地に630基の井戸となっているが、さらに活動を続けている。
受賞の言葉
この度深いご理解と支援を頂いている池田市民文化振興財団より、ご推挙を賜り、日本財団賞社会貢献の名誉を賜りましたことに深謝申し上げます。
想えば18年前カンボジアでひとりNGOのささやかな活動に対して誰からも見向きもされなかった頃、井戸掘り資金とこども医療支援と孤児院運営に対してワンボックス・カー(4WD)のご支援を日本船舶振興会より賜り、実態を正しく理解し慈眼で見守って下さる財団があることに感動し、活動の大きな力を賜ったおかげさまで18年間急がず、焦らず、怠らずに一ツ道を歩かせて頂きました。ありがとうございました。更に、世の為、人の為に少しでも役立ように小欲知足に徹して精進してまいる所存です。