受賞者

第47回

社会貢献の功績

いもと かつゆき

井本 勝幸

(ミャンマー)

日本国際ボランティアセンター(JVC)などで、ソマリア、タイ、カンボジア国境地域で難民支援に関わってきた経験を持ち、ミャンマー政府との同国内少数民族武装勢力らとのあいだで長引く停戦・和平交渉のなかで疲弊する避難民の惨状を目にし、2011年から同国の和平問題に携わってきた。歴史的・文化的事情の違う各武装勢力らが一丸となってミャンマー政府と交渉できるよう、各武装勢力リーダーを自ら訪ね、説得を試み、主要21武装勢力のうち11グループらで構成された統一民族連邦評議会の設立に協力、ミャンマー政府と同勢力らの交渉が円滑に進むよう大きく貢献してきた。また武装勢力らと仕事をともにする中で、武装勢力地域には今もなお第二次世界大戦中亡くなった多くの日本兵のご遺骨があることを聞き、彼らの協力を得ながらご遺骨の収集、帰国活動を行っている。。日本政府としても約40年前にミャンマーでのご遺骨収集作戦は実施していたが、地理的にも醸成的にもアクセスが限られていた武装勢力地域における作業は実施されていなかった。さらに、同じ仏教でもご遺骨は不浄のものという考えを持つミャンマー人にとって、ご遺骨収集・帰国活動に対する理解は得づらい。しかしながら、ミャンマー和平のために多大な協力をしてきた井本氏の活動であるならば協力をしたいという武装勢力およびその地域住民の協力もあり、同活動の実施が可能となっている。

井本 勝幸
収集されたご遺骨
収集されたご遺骨

ミャンマー少数民族和平と旧日本軍の遺骨収集

2012年8月末日、ミャンマーの新首都ネピドーからミャンマー少数民族武装勢力の一大拠点であるタイのチェンマイに戻った僕は、彼等武装勢力の代表達に囲まれていた。そこで彼等の口から提案されたのは旧日本軍の遺骨収集への協力というものだった。日本が敗戦した先の大戦後もミャンマーの辺境地域は民族の平等や高度な自治、連邦制を主張する少数民族各勢力とビルマ政府・軍との間で内戦が続き、それは今尚部分的に止んでいない。こうした彼等の地域は旧日本軍が連合国軍との間で激しい戦闘を繰り広げた地域に重なっており、六十年以上にわたって続いている彼等の内戦のために旧日本軍の遺骨収集は手付かずのままとなっていた。ミャンマーでは10万人以上の旧日本軍兵士が戦没し、未帰還の遺骨はいまだに4万五千柱を数える。

僕は、一口で言うならばミャンマーとの深いご縁を頂いてきたお陰で主要なミャンマー少数民族武装勢力各派によって構成される連合体「ビルマ統一民族連邦評議会(UNFC)」の創設に関わってきた経緯があり、今もそのコンサルタントに納まっている。

2012年8月28日、僕はネピドーにある鉄道省の来賓室で少数民族問題担当のアウン・ミン大臣(当時)とさしで向き合った。当時、ミャンマー政府(テイン・セイン政権)は打ち続く少数民族各勢力との間に停戦と和解・和平に乗り出そうとしており、その白羽の矢にUNFCコンサルタントである僕が呼び出されたことで実現した対面だった。大臣から、少数民族との和平仲介に協力することを条件に少数民族実効支配地での人道支援や農業による自立復興支援についても特別に許可を出すとの申し出があり、言うまでも無く僕は即座に合意した。第三者を介した停戦・和平協議は他ならぬ少数民族各派が望んでいたことであり、ましてや第三者(国外勢力)が彼等の実効支配地で堂々と人道支援を行えるということは少なくともそれまでの彼等の歴史には無かったことだ。旧日本兵の遺骨収集への協力は、そのことに対する彼等からの恩返しとして始まったのである。

2014年5月、僕は雨季が始まりつつあった北部チン州の地をインド国境へ向けてひた走り、標高二千メートルを越える山々が果てしも無く連なる山の中で初めて日本兵の遺骨に対面した。

2016年3月、遺骨収集法案が国会を通過。ミャンマーでの遺骨収集はこれからが本番だ。

  • ご遺骨の収集に関してミーティング
    ご遺骨の収集に関してミーティング
  • ご遺骨収集に協力してくれる村人と
    ご遺骨収集に協力してくれる村人と
  • 村人から話を聞く様子
    村人から話を聞く様子
  • ご遺骨収集のスタッフと
    ご遺骨収集のスタッフと
  • 農業実習
    農業実習
  • 立派に成長した農作物
    立派に成長した農作物
  • こんなに採れました
    こんなに採れました
  • 農業学校での集合写真
    農業学校での集合写真
  • 農業学校の皆さんと
    農業学校の皆さんと
  • 農業学校の仲間たち
    農業学校の仲間たち
  • 農業学校にて
    農業学校にて
  • 和平仲介に尽力された井本さん
    和平仲介に尽力された井本さん