受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

ながい まい

永井 舞

(18歳:宮城県仙台市宮城野区)
永井 舞

仙台市宮城野区で3月11日15時半頃、自宅の二階から、流木につかまって流れてきた男性を、浮いていた車の上に移るよう促し、毛布などを投げ渡した。その後救助が来る様子もなく、男性が弱ってきたことから、瓦礫が浮く、身長よりも深い水の中を泳いで助けに向かい、自宅の二階へ連れて戻り、着替えさせ毛布に包み暖を取らせ体をさすって介抱した。

推薦者:新浜町内会 会長 平山 新悦/仙台市宮城野区

平成23年3月11日午後14時46分、大きな揺れが始まったとき私は自宅の屋根裏部屋にいました。少しの間身を固めて揺れが収まるのを待っていたのですが、揺れが収まることは無かったので下の様子を見に行くことにしたのですが、見るも無残な光景でした。

外には逃げようと人たちや車や家具、さらには家ごとまで流されていました。次々と家中の窓が割れ瓦礫やヘドロが一気に流れこんできました。しばらくすると揺れが落ち着き家の中が静まり返ったのでボーッとしていると人の声がしたのでトイレの窓から覗いてみると一人の老人男性が流木にしがみつき、「助けてくれ!」と何度も何度も叫んでいました。私は声を張り上げ近くに浮いていた車の上に誘導しました。外は雪が降っておりとても寒かったので、家中にあるタオルや毛布などかき集め老人に受け渡まで何度も投げました。老人の手に毛布が届いたときには、老人も私も寒さと疲労で限界に近づいていました。正直もうあきらめていました。また少し経つと今度は「もうダメだ…。死にたくない!生きたい!助けてくれ!」と今にも消えていきそうな枯れ果てた声が聞こえました。

かける言葉も見つかりませんでしたが。私の頭の中で「生きたい」という言葉がぐるぐると回っていました。このまま救助を待っていたって助かる可能性はゼロに近いしここで今助けに行かなければ絶対に後悔すると思い、私は「今助けに行きます!絶対に助けます。だから諦めないでください!」と声をかけ、窓から飛び降り泳いで老人のところへ向かいました。老人はガクガクと震え既に呂律も回らない状態でした。老人を背負い波に流されながらも少しずつ大きな瓦礫などにつかまりながら家に戻りました。やっとの思いで家に着き、老人の着替えをさせ暖を取ろうと思ったのですが、あるものと言えば毛布一枚。老人はパニック状態なのか未だに「死にたくない死にたくない」と呟いていました。「もう大丈夫ですよ。きっと助けが来るはずですから」と励ますものの、不安で不安で押し潰されそうでした。毛布で老人の背中をさすり続けました。屋根に登り、残ったわずかな充電の携帯のライトを手に必死で空に向かって合図し続けました。

気が付くと周りは明るくなっており、私はベランダに倒れていました。その時「誰かいますか?! 救助にきました!! 誰かいますか!! いたら返事してください」(やっと助けに来た、やっと家族に会える)ホッとしたと同時に力が抜け、涙が溢れてきました。救助されてから3日後にやっと家族と会うことが出来ました。

この後日、誰かに会うたびに「救助したんだってね、凄いね」「よく頑張ったね。偉いね」と数え切れないほど言われました。褒められるのは嬉しいのですが、その反面私には悔しさもありました。

もっと早く行動することができたら多くの命を救うことが出来たんじゃないだろうか…流されてきた老人の近くには他にも数人流されてきていた様なのですが、私には一人救助するだけで精一杯でした。もっと体力があれば…勇気があれば…今もまだ後悔しています。

救助活動したのは私だけではありませんし、私以上に活躍した方は数え切れないほど居るはずです。ですから受賞させて頂いたことはとても誇りではあるのですが、私よりももっと受賞にふさわしい方がいたのではないかと思いました。

 

今回の震災で多くの犠牲者が出てしまいました。ですが、今回の震災を通して感じたこと、考えさせられたことがあります。

 

東北人の絆
・人を思いやる大切さ
・協力することの大切さ
・家族や身内の大切さ
そして改めて"命の重さ"

もっともっと感じたことはありますが、普段の何気ない生活が小さな幸せでは無く、とてもとても大きな幸せだったんだと気づかされました。

当たり前のことですが大切な家族や人を大事にしていこうと強く思いました。