受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

ごのうえ かつとし

後上 勝俊

(31歳:宮城県名取市)
後上 勝俊

名取市の宮城県農業高等学校で、大震災発生後、生徒ら200名程は校舎の3階に避難したが、地上にいた教員1名と生徒1名が津波に飲まれた。誰もが二人は亡くなったと思ったが、流された生徒から携帯電話で連絡を受け、一緒に流された教員の生存も確認された。後上氏は、余震が続き津波も引かず、暗くなり、雪も降るなか、救助に名乗りを上げ、腰まで水につかりながら2名を救った。

推薦者:昆野 慶太

目の前で流されていった二人を何とかして助けられないか。そこにいた誰もが思っていたことだと思います。一人は武道館の屋根に掴まり、そこから渡り廊下の屋根を伝って体育館へ入っていく様子を皆で応援しながら見守ることしかできませんでした。しかし、もう一人の安否は不明…。夕方になり水が少しずつひいていました。「どこか外につながる道はないか。」と思い、私は職員昇降口のほうへ行ってみました。なんとかそこから出れそうな感じがした私は、階段を塞いでいる漂流物を除けてみました。そこから外への導線ができました。時間は16:30を過ぎ薄暗くなってきました。「助けに行くなら今しかない。」そう思い決心をきめました。水はだいぶ退いたものの185センチある私の腰の位置までありました。氷水のような黒く濁った水の中たくさんの瓦礫を掻き分けながら体育館に向かいました。

体育館のギャラリーにはビシャビシャにぬれた同僚がいました。本人は眼鏡が流されてしまい全く見えないということだったので、抱きかかえて戻っていきました。とにかく、無我夢中で戻っていきました。待っていた推薦者の昆野に引渡し水から上がろうとしたとき。「もう一人は、もう駄目かと思ってたけど、武道館裏の百周年記念会館のベランダに掴まり、何とかその建物の中に入ったと、本人の電話にて安否を確認できた。」という情報が飛び込んできました。「行くしかない。」私は、記念会館に向かっていました。体育館に行くより3倍くらいの距離と比べ物にならないくらい大量に行く手をさえぎる漂流物のなか、「とにかく行かなければ」という気持ちが、私の足を前へ出してくれました。何とか生徒のところにたどり着きました。そこには靴も眼鏡が流され、周囲の様子が分からず、身動きも取れない。一人で必死に不安と恐怖に耐えている生徒がいました。生徒を背負いきた道を必死に無我夢中で戻りました。周囲の反応は、二人の生還への喜びでした。なぜ、二人が合流できたのかは分かってないようでしたが、そんなことはどうでもよく感じました。母と娘の再会はとても感動的でした。そのとき「救助に行って来て本当によかった。」と思いました。

私は、今でも津波の写真や動画を見ると、当時を思い出してしまい調子悪いです。体育館がない状態のときから一緒にがんばってきたバレーボール部員たちと、夢を追いかけて活動しています。クラスの連中とはバス授業など大変な思いもさせましたが、楽しい思い出作れてます。

この先、復興するのにどれくらいの時間がかかるか分かりませんが、クラスや部活、そして宮農の生徒たちと一緒に、不自由だけれども楽しく学べ、充実した学校生活を送れる宮農を作って生きたいと思っています。

今回の受賞は、すごくびっくりしました。まさか、同僚が応募してくれていたなんて思いもしませんでした。当日は何がなんだか、とにかく助けなきゃいけない。という気持ちで無我夢中でした。このたび、このような賞に選んでいただきまことに感謝しています。