受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

 さとう みつる

佐藤 充

(享年55歳:宮城県牡鹿郡女川町)
佐藤 充

水産加工会社は14〜5mの高さの所にあったが津波により事務所と工場の総てを消失した。同社専務の充氏は、地震発生後すぐに中国人20名の研修生や従業員を避難させた。従業員、両親や社長である兄の無事を確認した後、消防団員でもある充氏は、戻って救助活動を続け犠牲となられたと思われる。

推薦者:公益財団法人 社会貢献支援財団

宮城県の女川町は、東日本大震災により、死者474人、行方不明者180人。約1,490人が避難した。私たちはこの震災により水産工場と自宅、そしてなによりも私の右腕ともいえる弟(専務・充)を失ったことが残念でならない。

地震もさることながら恐ろしい津波だった。津波の高さが、石巻が10m程、女川や陸前高田は地形によるものか17〜8m、会社は14〜5mの高さの所にあったが、飲み込まれた。

被災した工場

報道では、弟が津波の中で、当社の中国人研修生(20人)を、道路を隔てた後ろの神社のある高台に避難させたようになっているが、弟は地震発生後すぐに研修生や従業員、会社の車を神社と神社の下の道路に避難、移動させた。

研修生は、「専務さんは、避難する際も慌てず、いつも通り優しく避難させてくれた。」と言っていた。

神社の鍵をあけた弟は、そこから2台の車に分乗して避難する両親と私を見送ってくれた。津波が迫り来る中での避難ではあるが、わずかの時間的な余裕があったと思う。津波により車は流されたが、研修生は無事だった。

それがどうしてまた弟は下に戻り、津波にさらわれたのか判然としない。弟は消防団員でもあったことから、高台からまた下に降りて救助活動をしようとしたのか。研修生が、高台の神社から写真を撮っている時に、偶然にも民家の屋根にしがみついて流されていく弟の姿を発見し、弟に向かって「専務!専務!」と叫んだという。私はその写真を見て、弟が映っているようにも思えたが、見るに絶えず確認をする気にもなれなかった。

研修生は、中国大使館から車を用意され、新潟、福井、石川の空港から帰国した。

被災した工場

この研修生の撮ったものが、パソコンを通じて中国で流され、弟が英雄のように称賛されるきっかけとなった。

社員の中から犠牲になったのは、弟と一人の機関士で、弟は英語と中国語を少し喋れたこともあり、夜も研修生に日本語を教え、亡くなった機関士が研修生の世話役をやっていた。二人とも研修生と親しかった。

弟は1ヵ月後に会社近くのガレキの下から、機関士は同じ頃、海中から夫々遺体で発見された。

研修生の受け入れは、12〜3年前から受け入れ、現在は20名程が3年間の研修を終えて帰国している。中国大使館や遼寧省からも再開への問い合わせがあり、安定したらまた受け入れていきたい。

新工場の用地も取得出来たので、建築し仕事を再開させたい。最盛時の1〜2割程度での再出発となる。60人程の従業員もなんとか戻したいと思っている。

国内のテレビ、新聞等、また中国から弟への取材の申し込みがあったが、当人が亡くなっていることもあり断ってきた。

その中で、弟が表彰されることについて、色々考えてもみたが、弟家族がここで一区切りをつけるためにもとの思いから受賞させていただいた。

(佐藤充様の実兄・仁様 談)

  • 佐藤仁社長
  • 河北新報平成24年2月5日
  • 読売新聞平成24年2月5日