受賞者紹介

平成23年度 社会貢献者表彰

社会貢献の功績

たけうち こうじろう

武内 幸次郎

(76歳/宮城県宮城郡松島町)
武内 幸次郎

長男の罹患がきっかけとなり、35年近く日本筋ジストロフィー協会で患者の支援に関わっている。昭和53年岩手県支部を結成、「岩手県方式」と呼ばれる在宅訪問検診事業を興し、同疾病患者を発掘する。その後、患者自立訓練の場である「西多賀社会訓練センター」や自立生活の場である「バリアフリーアパート」の創設メンバーとして参加、建設した。
3月11日の東日本大震災で自宅が損壊したにも関わらず、患者家族の安否確認や支援物資の運搬などに奔走した。幸い患者に犠牲者はいなかったが、訓練センターが使えなくなるなど活動の停滞を余儀なくされているが、患者の支援のために活動を再開させている。

● 推薦者/社団法人 日本筋ジストロフィー協会 貝谷 久宣

◇はじめに

これまで、進行性筋ジストロフィー患者の"いきがい"や自立支援のために影となって活動してきたことが評価を受け、表彰を受けることは喜寿を迎えるにあたり満腔の喜びとするところです。

◇活動のきっかけ

1971年夏、東北大学病院で長男(当時5歳)に告げられた病名は"筋ジストロフィー"治療法のない難病と知り、藁をもすがる気持ちで(社)日本筋ジストロフィー協会に入会。'73年、患者が始めた"国立総合研究所設立署名運動"に参加、運動が実り'78年に国立研究所が設立され、同年2月、花巻市で開催された協会東北ブロック会議で岩手支部設立の要請を受けました。

岩手県宮古市浄土ヶ浜 筋ジス岩手県支部キャンプ
岩手県宮古市浄土ヶ浜 筋ジス岩手県支部キャンプ

◇軌道に乗るまでの苦労

支部設立のために市町村の福祉事務所を尋ね、筋ジス患者を調査把握し'78年6月に患者・家族15人が集まり岩手県支部設立、事務局長となりました。支部活動では在宅患者に"個別検診と相談指導事業"を行うべく岩手県に陳情'80年度より実施。'83年には西多賀病院入所患者のために日本財団より助成金を受け、"西多賀社会訓練センター憩の家"が開所。完成に至るまで自宅から西多賀病院まで200キロの道程を何度通ったか数え切れません。また患者の思い出作りにと"車いす希望の翼韓国旅行"や"船に乗っての金華山の旅"、"青森ねぶた車いす参加"の計画プランを作成し実行しましたが、いずれの事業もボランティアの確保と車いすトイレの有無、段差の有無を事前調査し、未整備に対しての対策に頭を痛めました。

◇現在の状況

筋ジスのデュシャンヌ型は、当時平均寿命17歳と云われており、長男は'83年丁度その年齢で亡くなりました。その時「憎き筋ジスの鬼を退治するまでは協会活動を続ける!」と誓い、筋ジス患者の"いきがいや暮らし"とは何か?"働く"とは何か?を問い続け、協会事業の訓練指導ではパソコン教室を行い、憩の家の一部を改造して生活体験の場をつくりました。また3月11日に発生した東日本大震災の際、憩の家に避難してきた4名の筋ジス患者とライフラインが復旧しない中で生活を共にしながら、会員の安否確認をしました。

石巻市サン・ファン・バウティスタ見学
石巻市サン・ファン・バウティスタ見学

◇今後の展望

憩の家の生活体験の場を発展させたバリアフリー・アパートが本年6月にオープン。入居者が安心して生活できるよう訪問介護や看護の体制は整われてはいるものの、年金だけの生活では本来の自立とは言えず"働いて"収入を得ることを課題とし、息子や孫のような筋ジス患者と共に活動しているところです。

最後に、不治の病と言われた病気は今、"患者の命の叫び"でできた国立研究所と研究者の努力が実って遺伝子治療の道筋ができ、17歳までの寿命が27歳を超え30歳以上も生き延びるようになりました。私の誓いである"憎き筋ジスの鬼を退治"するまで、今回の表彰を機に、改めて患者と共に活動を続けていく所存です。ありがとうございました。

  • 筋ジス協会東北司法本部 青森ねぶたに車イスで参加
    筋ジス協会東北司法本部 青森ねぶたに車イスで参加
  • 筋ジス協会東北地方本部 車イス希望の翼 韓国の旅
    筋ジス協会東北地方本部 車イス希望の翼 韓国の旅
  • 西多賀 浅野忠郎宮城県知事来所(1995年)
    西多賀 浅野忠郎宮城県知事来所(1995年)
  • 西多賀病院筋ジス病棟 親の会クリスマス会
    西多賀病院筋ジス病棟 親の会クリスマス会

Kojiro Takeuchi

(Age 76 / Matsushima Town, Miyagi County, Miyagi Prefecture)
Motivated by his older brother's contracting the disease, Mr. Takeuchi has been involved in helping patients at the Japan Muscular Distrophy Association for close to 35 years. In 1978 he formed the organization's Iwate branch; he created an at-home examination program called the "Iwate Prefecture Method"; and he searches out patients suffering from this disease. Subsequently, as a founding member, he partipated in the planning and construction of the West Taga Social Training Center, a place for training patients to be independent, and of the Barrier-Free Apartment, a place for independent living.
Despite the fact that his home was damaged by the Great East Japan Earthquake of March 11, he ran about checking on the safety of patients and their families and delivering relief supplies. Fortunately there were no casualties among the patients, but the training center became unusable and its and other activities had to be discontinued. For the sake of the patients, he is working to resume the activities under difficult conditions.
Nominator: Masanobu Kaya, Japan Muscular Distrophy Association