受賞者紹介

平成15年度 社会貢献者表彰

第二部門/多年にわたる功労

ほんごう さちこ

本郷 幸子

(昭2. 7.31 生/ハイチ・東京都)
本郷 幸子
治安が悪く劣悪な生活環境の中で、多年にわたりハイチ共和国の学校に行けない貧しい子ども達に「午後の学校」で読み書きを教え、恵まれない子供達の自立と貧困からの脱出を助けている。
推薦者:社会貢献支援財団 事務局

受賞の言葉

「受賞おめでとう」と喜んで下さった方々の支えがあったからこそ、ハイチで子供達と付き合うことができました。違う文化を持つ子供達に囲まれて過ごす毎日は、新しいチャレンジに向かう力を戴きます。貧しさの中で生活している人々が人間らしく生きられるようこの受賞をステップにして励みたいと思います。そして、日本の若者の手助けを願って・・・・。

世田谷聖母幼稚園園長を17年間務めた後、本郷さんが無原罪聖母宣教女会から派遣されて、ハイチ共和国レンベ市のヨハネ病院で医療補助の業務に就いたのは1986年7月、59歳を迎えたばかりの時だった。同病院で本郷さんは、医療補助業務や小児患者の精神的ケア、寝たきり老人・エイズ患者の家庭訪問などを担当した。或る日、破傷風で入院した赤ちゃんが痙攣で苦しみ、4ヶ月の短い命を終える姿に、ハイチの貧しさを身を以て叫び訴え続ける赤ちゃんの声を聞いた。

この出来事がその後本郷さんをハイチでの識字教育に向かわせることとなった。

'88年9月、本郷さんは「午後の学校」で教えることになった。この学校は、授業料が払えず学校に行けない子供達に午後の数時間、読み書きを教える。生徒の中には1日1回の食事も出来ず、毎日の給食を楽しみに通う子もいた。親が蒸発した子を学校に来させるよう責任者と談判することもあった。病人が出て医療費援助を求められると診療所/薬局まで同行して代金を払った。

'91年クーデターが発生、日本大使館から国外避難の指導があったが、住民との連帯が大切とする会の方針で現地に留まった。'93年国連による制裁開始、'94年全面禁輸に至って軍指導部は退陣、なおも混乱が続き、経済活動は停滞、窃盗が増え殺人が多発し治安は悪化した。その中で、恵まれない子ども達に尽くす本郷さんの活動は続けられ、76歳のいまも続いている。