受賞者紹介

平成12年度 社会貢献者表彰

第二部門/多年にわたる功労

なかむら せつこ

中村 節子

(昭21. 3.31生 神奈川県横浜市)
「かかわることはかわること。かわることはわかること」をモットーに、募金やバザーなどを通じて、重複障害者のための生活ホーム設立などのボランティア活動を、20年にわたり主婦の仲間たちと粘り強く続けている。
推薦者:小山 美榮

昭和56(1981)年に、大学の同窓生の勉強会「青い花」のメンバーで神奈川県立平塚盲学校を見学した際、目が不自由で、知的、身体的障害のある特殊学級の子どもたちとその母親に、中村さんは初めて出会った。

その時に見た光景は今でも忘れられない。昼食の時間に、4人の子どもが教室から出ていく。先頭の子の肩に次の子が手を載せ、その肩にさらに次の子が手を載せ…数十分かけて壁を伝いながら、4人は連なって食堂へ移動していった。ふつうに歩けば数分しかかからない。

つきそいで来ている母親たちから、子どもの将来に対して抱いているさまざまな不安を聞いた。当時は、高校を卒業した後の受け入れ先は数少なく、障害児・者に対する偏見も多くあり、町中に生活のための施設を作りたいという話を聞いた。同じ年頃の子どもを持つ母として、自分の子どもも同じような境遇でありえたかもしれない、と考えると、何かをせずにいられなかった。

見学メンバーの有志や当日いっしょになった見学者、そして話を聞かせてくれた母親たちと連絡をとりあい、子どもたちが安心して暮らせる施設を造るための活動に取りかかった。それぞれの地元で活動を行うことになり、中村さんは鶴見で、子どもが通っていた学校の父兄、所属している教会員や友人たちに呼びかけて協力者を募り、手製の人形やエプロンなどのバザーを行った。情報を集めて、毎週のように幼稚園や学校に出かけ「バザー屋さん」と呼ばれるほどになった。当時は手づくり品のブームだったことも幸いした。紆余曲折はあったが、他の地域の仲間と連絡を取りながら、粘り強く活動を続けた。

60年に、チャリティコンサートを開催することになったのを機に、鶴見では中村さんを中心に「つるみ・あゆみの会」が結成された。ボーイスカウトなど多くのボランティアの協力のもと、このコンサートは現在まで毎年開催されている。

鶴見、厚木など三ヶ所での活動成果は、5年をかけて1,300万円に達した。社会福祉法人から土地の提供の申し出があり、昭和61年4月、平塚市に重複障害者のための「あゆみの家」生活ホームを建てることができた。現在、2名の重複障害者を含む5名が、月曜から金曜まで親元を離れて共同生活をしている。さらに平成5年には、キャンドル作りをする作業場である地域活動センターが隣接して造られ、自宅から通う17名の障害のある人たちと生活ホームの5名が、和気あいあいと助け合いながら懸命に働いている。